「傲慢でぶっきら棒で利己的になるのは、いともたやすいことです。でも私達は、もっと素晴らしいことの為に、創られているのです」
マザーテレサの他の名言
「大切なのはなにをしてきたかではなく、どれだけ心を込めたかである」
「(世界平和のために何をしたらいいのかと聞かれて)帰って家族を大切にしてあげて下さい。」
「100人に食べ物を与えることができなくても、1人なら出来るでしょ?」
「あなたに出会った人がみな、最高の気分になれるように、親切と慈しみを込めて人に接しなさい。あなたの愛が表情や眼差し、微笑み、言葉にあらわれるようにするのです。」
「あなたは、あなたであればいい。」
「あなたも望まれてこの世に生まれてきた大切な人なのですよ」
「イエスはあなたの近くに、あなたとともにいます。ランプに火をともしていれば、いつでもイエスを見ることができます。愛の小さなしずくのすべてでランプを満たしていれば、あなたが愛する主がどんなに甘美かわかります。満ち足りた心は、私たちのまなざし、触れ方、書くものの中、話す内容、歩き方、受けとり方、奉仕の仕方などに表れます。」
「いかにいい仕事をしたかよりもどれだけ心を込めたかです。」
「いずれにせよ、もし過ちを犯すとしたら、愛が原因で間違った方が素敵ね。」
「いつもお互いに笑顔で会うことにしましょう。笑顔は愛の始まりですから。」
関連する名言
「私は誰とも争わなかった。争うに値する者などいなかったから。自然を愛し、自然の次に芸術を愛した。人生の火にかざして両手を温めた。その火は今、衰えてゆく。私は旅立つ用意ができている。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「死が私の上に立ち、耳元で何かをささやく。その奇妙な言葉について私に分かるのは、そこに恐れの言葉など一言もない、ということだけだ。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「滅びたイリオンを越えてヘレネは生き、アルケスティスは黄泉の国から立ち上がる。彼女たちを呼び戻すのは詩であり、死すべき乙女たちに不滅の若さを与えるのも詩である。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「名声の門と墓の門は、同じ楣(まぐさ)の下に並んで立っている。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「一枚、また一枚と葉が落ち、一輪、また一輪と花が散る。寒い時節に散るものも、暖かい時節に散るものもある。ひとしく咲き、ひとしく散り、それらを育てた大地がすべてを迎え入れる。大地の賢い子である私たちは、命が尽きたとき、その懐に身を沈めることにもっと満足してよいのではないか。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「死は姿こそ見えないが、すぐそばにいて、私の八十歳を惜しんでいる。私はこの最後の歳月をそっくり彼にくれてやってもいい、五十年前に過ぎ去ったあの一年と引き換えに。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「批評家ぶった口がやかましいこの世でささやかれるあらゆる「きまり文句」のなかで、偽善者のそれが最悪かもしれないが、いちばん苦痛なのは批評のきまり文句だ。」
— ローレンス・スターン
「時はあまりに速く過ぎ去る。私が一字を記すたびに、人生がどれほどの速さでペンのあとを追ってくるかを思い知らされる。」
— ローレンス・スターン
「脱線は、まぎれもなく陽光だ。脱線こそ読書の命であり魂である。」
— ローレンス・スターン
「人間の身体と精神は、上着とその裏地のようなものだ。一方をしわくちゃにすれば、もう一方もしわくちゃになる。」
— ローレンス・スターン