「しかり過ぎるとお互いの関係を修復するのに一カ月では難しい。だからしからずに、気長に歩き出すのを待つことにした。その方が仕事が早い」

蜷川幸雄の他の名言

「楽なとこに行き過ぎるなよ」
「商業演劇へ行ったら、あまりのひどさに驚いたんです。脇役の俳優たちの横暴さ、自覚のなさに。なんだ、演劇全体が腐ってる、と思いましたね」
「今、上演中の『海辺のカフカ』でも、「それは想像力の問題なんだ。夢で荷担した人は、その夢に責任をとらなきゃいけない」という台詞があるんですけど、まさしくそういうことを、自分たちの集団でやりたかった」
「自分たちが直接やったわけではないけども、やはりシンパシーを持って時代と共に走ったことについての心情的な責任をとらなきゃいけないなっていうことがあるんです」
「(現代人劇場は)状況と直結しているような内容を、ある種の過激なひた走り方でやっていく集団でした。ですから、同時代の若い人たちにはものすごく受けたと思うんですよ」
「人と違うことをやることで、なんとか自分の存在証明をしたかったんでしょうね。人と違う、すごいものを作りたいっていう思いだけはありました」
「アートシアター新宿文化で演出家になったわけですけども、あそこは狭い劇場だから、他の劇団が演劇をやるときはみんな、人数が少ない芝居をやるんですよ。ぼくは、じゃあ逆に、大勢出る芝居をやろう、狭いからこそ大勢出る芝居を作ろうと考えた」
「現代人劇場をみんなで作ったときから、人のやってないことをやりたかったんですね」
「「じゃあ自分でやろう」と思って、稽古場で、自分で構成した作品を研究生とやったら、劇団から「電気代払え」と言われて」
「本を読んだ感想を聞いて、演技を見て、いいとか悪いとかって批評してくれる。倉橋さんの演劇を全部いいとは思わないけれども、演出家のあり方というものについては習いました」

関連する名言

「私は誰とも争わなかった。争うに値する者などいなかったから。自然を愛し、自然の次に芸術を愛した。人生の火にかざして両手を温めた。その火は今、衰えてゆく。私は旅立つ用意ができている。」

— ウォルター・サヴェージ・ランドー

「死が私の上に立ち、耳元で何かをささやく。その奇妙な言葉について私に分かるのは、そこに恐れの言葉など一言もない、ということだけだ。」

— ウォルター・サヴェージ・ランドー

「滅びたイリオンを越えてヘレネは生き、アルケスティスは黄泉の国から立ち上がる。彼女たちを呼び戻すのは詩であり、死すべき乙女たちに不滅の若さを与えるのも詩である。」

— ウォルター・サヴェージ・ランドー

「名声の門と墓の門は、同じ楣(まぐさ)の下に並んで立っている。」

— ウォルター・サヴェージ・ランドー

「一枚、また一枚と葉が落ち、一輪、また一輪と花が散る。寒い時節に散るものも、暖かい時節に散るものもある。ひとしく咲き、ひとしく散り、それらを育てた大地がすべてを迎え入れる。大地の賢い子である私たちは、命が尽きたとき、その懐に身を沈めることにもっと満足してよいのではないか。」

— ウォルター・サヴェージ・ランドー

「死は姿こそ見えないが、すぐそばにいて、私の八十歳を惜しんでいる。私はこの最後の歳月をそっくり彼にくれてやってもいい、五十年前に過ぎ去ったあの一年と引き換えに。」

— ウォルター・サヴェージ・ランドー

「批評家ぶった口がやかましいこの世でささやかれるあらゆる「きまり文句」のなかで、偽善者のそれが最悪かもしれないが、いちばん苦痛なのは批評のきまり文句だ。」

— ローレンス・スターン

「時はあまりに速く過ぎ去る。私が一字を記すたびに、人生がどれほどの速さでペンのあとを追ってくるかを思い知らされる。」

— ローレンス・スターン

「脱線は、まぎれもなく陽光だ。脱線こそ読書の命であり魂である。」

— ローレンス・スターン

「人間の身体と精神は、上着とその裏地のようなものだ。一方をしわくちゃにすれば、もう一方もしわくちゃになる。」

— ローレンス・スターン

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