「私はこれまで全国各地をまわって、自分の体験や骨髄バンクのことをお話してきました。また、たくさんの患者さんと出会い、語り合ってきました。こうした体験や出会った方々は私にとって大きな財産だと思っています」

大谷貴子の他の名言

「今、現実にできることに、皆さんには協力してほしい。具体的には、骨髄バンクへの登録と献血、妊婦さんはさい帯血の提供です。元気になっている患者はたくさんいますので、切にお願いします」
「私自身、自分が白血病の治療で子どもが産めない体になっているとは知りませんでした。この苦しみをほかの患者さんに味わって欲しくなかったから」
「私は骨髄バンク登録の広報活動として講演を行う一方、未受精卵子凍結プロジェクトも推進しています。ガンなどの治療の影響で不妊になる可能性のある女性患者を対象に、将来に備え、未受精卵子の冷凍保存を勧める活動です」
「移植を受けて、「私がこんなに元気になっていくんやから、ほかの多くの人も平等に移植をしてもらいたい」と強く思うようになったのです。これは、私にとって自然な流れでした。一方で焦りもありました。移植後、私がのんびりしていたら、多くの人が死んでしまうと思って」
「「貴子は大阪でゆっくりさせたい。バンクの活動はやらせたくない」と言う母に、森島医師は「白血病が再発するかどうかは誰もわかりません。神のみぞ知る、です。ならば、したいことをやって死んだ方が、お母さんも楽なんじゃないですか」と説得してくれました」
「活動を始めた頃は、公のためとはあまり思っていませんでしたよ。やっぱり自分のため。自分が死にたくないから。だから、全然ほめられる活動ではないんですよ」
「読売新聞など新聞、テレビのマスコミが100万人署名活動を強力に後押ししてくれて、いろいろな人が情報や連絡をくれて、「日本人は、本当はやさしいんだ」と実感することができました」
「厚生省(当時)や日本赤十字社などにも出かけ、「どうしたら骨髄バンクできますか」と詰め寄りました。厚生省の方の回答は「100万人署名があれば」。はじめは「はよ帰ってほしいから、思わず出たウソや」と思いました」
「米国にいる姉の夫から電話で「米国に骨髄バンクができたと、新聞で読んだ」と連絡があったのです。他人からでもHLAが適合すれば移植ができると知りました」
「内科医だった父は、私に病名を伝えるべきではないという考えでしたが、米国在住で、米国で看護師の資格を取った姉は、「病気になったことはかわいそうだけど、伝えないことはもっとかわいそう」という考え方で、病名を教えてくれました。「明日のことはわからない。いい病院探すから」と励ましながら」

関連する名言

「私は、ジャワは熱帯の島として世界で最も素晴らしいと言ってよいと信じる。新しく美しい景色を求める旅行者にも、熱帯の自然の多様さと美しさを調べたい博物学者にも、等しく興味深い島である。」

— アルフレッド・ラッセル・ウォレス

「もしこれらの鳥が故郷で希少で、ヨーロッパでは生きた姿が知られていなかったなら、彼らは羽をもつ種族の真の王子と見なされ、その気品と美しさにおいて並ぶものがないとされただろう。」

— アルフレッド・ラッセル・ウォレス

「よい着想は、疲れた頭には決して訪れなかった。机に向かっているときにも訪れなかった。」

— ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ

「問題を、そのあらゆる曲がり角や入り組みを頭の中で見渡せるようになるまで、あれこれと何度もひっくり返してみた。そうしてはじめて、よい着想は訪れた。」

— ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ

「よい着想は、晴れた日に森の山をゆっくりと登っているとき、よく訪れた。」

— ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ

「私は、道を知らぬまま、ゆっくりと苦労しながら登っていく登山家に、自分をなぞらえずにはいられなかった。」

— ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ

「着想が訪れないとき、私は何週間も、何か月も、そうした問題に食らいついて離れなかった。」

— ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ

「お茶は、生まれつき神経の粗い人々や、ワインの飲み過ぎで粗くなった人々、つまりこれほど洗練された刺激に感じ入らない人々からは嘲笑されるが、それでも知的な人々にとって常に愛される飲み物であり続けるだろう。」

— トマス・ド・クインシー

「あなただけが、こうした贈り物を人に与える。そしてあなたは楽園の鍵を握っている。ああ、正しく、微妙で、力強きアヘンよ。」

— トマス・ド・クインシー

「ここに万能薬があった。人間のあらゆる苦しみに効く薬が。哲学者たちが幾世紀も論じ続けてきた幸福の秘密が、ついに見つかったのだ。幸福は一ペニーで買え、チョッキのポケットに入れて持ち運べる。」

— トマス・ド・クインシー

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