「そもそも歌舞伎は江戸時代、その時代を代表する格好いいものだったはずなんですよ。ラップもそうでしょ? こういう試みが若い方からどんな反応を引き出すのかも楽しみですね。せっかく渋谷で、しかもコクーン歌舞伎でやるわけだから、いろいろな挑戦をしてみたいと思っています」
中村勘三郎の他の名言
「僕の場合、子どもも芝居やってるんですよ。僕の親も芝居やってたから、自分はその間の中継ぎって感じで生きていますね。うちのオヤジがやったことが、僕の肉体や考えを通して子どもに伝えられていく。先輩の芸を後輩に受け流しているような気がします」
「(拍手鳴りやまず、再び開いて言った一言)これ、いつもは開けないんですが、今日は、お月様がきれいなんで」
「芝居と言うものは、その演目を観に行くところから既に芝居の一部が始まっており、お客さんが体験する空間は、家路へと向かう劇場の扉を開けた瞬間から徐々に閉じられてゆく…だからこそ、お客さんのおもしろいと思う芝居を提供しなければいけない」
「男と女が好きになって、いろいろあってもいいじゃねえか。理にかなってるから“可倫だよ」
「ただ、役者として立派なだけじゃあダメ。人間としてもちゃんとしてもらいたい。僕のおじいさん(六代目尾上菊五郎)は“偉い人でも物乞いでも、対する時は同じ態度であれとおふくろを育てたそうですが、おやじ(十七代目中村勘三郎)もまったく同じ方針でした。僕と女房も、それだけは息子たちに伝えたいと思っています。誰に対しても態度を変えない。そして情がある。そんなことを伝えていけたならうれしいですね」
「歌舞伎では積み重ねが大事だし、人生経験も生きてくるものなんです」
「(子育てで二人の息子たちに伝えたかったこと)とにかく芝居だけは大切にさせたいと思い、厳しく育てたつもりです。歌舞伎役者の家ですからそれは当然ですが、この前息子たちが“孫ができても、僕たちを叱ったときのようにやってくれなきゃダメだよって言うんですよ。そう言ってもらえてよかったと思います」
「(歌舞伎の中に残っている「日本の心」について)いろいろなものがあるかもしれませんが、やっぱり“自己犠牲の心じゃないでしょうか。『寺子屋』にしても『熊谷陣屋』にしても、他人のために自分の子供を殺すわけですから、究極の自己犠牲です。これはなかなかよその国ではわかってもらえない」
「(人間国宝の中村又五郎氏について語った言葉)又五郎のおじさんには小さなころからとてもかわいがっていただいたんですが、『佐倉義民伝』にお願いして出ていただいたときは、体力もなくなっておられました。甚兵衛が宗吾を力いっぱい引きとめるシーンなどでは、その力が入らない。でも客席で見ていた女房は“おじさんは万力で止めているように見えたって言うんですよ。芸の力って大きいですねえ」
「(コクーン歌舞伎で義太夫(三味線に乗せて歌うナレーション)をなくし、代わりにラップを導入した時の言葉)稽古でいとうさんがラッパーの人に“ここはこういう心情だから音を高くと注文している姿を見て、歌舞伎はこうやって生まれてきたんだ、と思いましたね。歌舞伎の型は昔からあると誤解している人が多いんですけど、江戸時代にこうして作者や下座音楽が考えて型が生まれたんですよ」
関連する名言
「良い料理は、真の幸福の基盤である。」
— オーギュスト・エスコフィエ
「スープは心を落ち着かせ、空腹の暴力を和らげ、一日の緊張をほぐし、食欲を目覚めさせ、研ぎ澄ます。」
— オーギュスト・エスコフィエ
「最高の料理は、常にシンプルだ。」
— オーギュスト・エスコフィエ
「バターなし、卵なしでは、フランスに来る理由がない。」
— ポール・ボキューズ
「いわゆるヌーベル・キュイジーヌというのは、たいていは皿の料理が少なく、請求書の額が多すぎることだ。」
— ポール・ボキューズ
「料理人がミスを犯したなら、建築家がツタで覆うように、医者が土で覆うように、ソースで覆って新しいレシピと言えばいい。」
— ポール・ボキューズ
「シンプルな食材ほど、うまく仕上げるのが難しい。食べているものそのものの味を感じてほしい。」
— ジョエル・ロブション
「完璧な食事は存在しない。それは友と分かち合う一切れのトーストとチーズであるかもしれない。」
— ジョエル・ロブション
「料理とは職人の仕事だ。優れたシェフは職人であって、芸術家ではない。」
— アンソニー・ボーデイン
「あなたの体は神殿ではなく、遊園地だ。思い切り楽しもう。」
— アンソニー・ボーデイン