「言葉にならない言葉を吐き出したい、という共感ですかね」

中邑真輔の他の名言

「俺、プロレスの黒帯」
「語源は一緒ですが、ボンバイエの場合は、アリ側のスタッフが「アリ・ボンバイエ」という曲を作ったとき、ボマイェを聞き間違えたのか、ボマイェをボンバイエにしたっていう経緯があるんです。当時の自分はまさに殺しにかかるようなスタイルだったので、フィットすると思って付けました」
「イヤァオというのはたまたま言葉にしただけですけど、たとえば僕の必殺技である“ボマイェは、スワヒリ語で「やっつけろ」という意味なんです。モハメド・アリがジョージ・フォアマンとキンサシャで戦ったときに、観客が「やっつけろ!」と熱を帯びて発した言葉なんですよね。もの凄くパワーのある言葉だと思いました。それと、自分とアントニオ猪木との関係性上、猪木の“ボンバイエを連想させる」
「誤解されてもいいんですよ。まずは自分がやりたいようにやれたかが重要だと思っていますから」
「自分が生み出したものが勝手に独り歩きしている、というのが面白いですね。いろいろな解釈をされるというのも、目には見えないもので面白い」
「じゃあ何を求めているかというと、リアクションです。投げかけたものに対して、なにか変化や反応があるということに快感を覚えます」
「それこそ僕が起こすアクションに嫌悪感を抱いてもいいし、称賛を送ってくれてもいい」
「僕は自分のやりたい事をやりたい風にやっているんです。それはどう解釈されてもいいとも思っています。受け取るほうも一方向からではないですし。人間ですから、人によって感じ方も違いますよね。こうじゃなきゃいけないというのは、まったくないので」
「たとえば、感極まって猫を踏んづけたような声を出す人がいたとして、それをどうにかこうにか文字化したら、「イヤァオ!」みたいな言葉になったり」
「「『イヤァオ!』ってなに?」というフックはあると思います。本人としては説明しようがないんですけど。変化もするし。言語化できない心の叫びですから。あとは何だろう? 感覚的にだれしも経験があったり、そういう言葉を持っていたりするかもしれないという。投げかけ。それプラス、共感。プラス、どうでもよさ感(笑)」

関連する名言

「私は誰とも争わなかった。争うに値する者などいなかったから。自然を愛し、自然の次に芸術を愛した。人生の火にかざして両手を温めた。その火は今、衰えてゆく。私は旅立つ用意ができている。」

— ウォルター・サヴェージ・ランドー

「死が私の上に立ち、耳元で何かをささやく。その奇妙な言葉について私に分かるのは、そこに恐れの言葉など一言もない、ということだけだ。」

— ウォルター・サヴェージ・ランドー

「滅びたイリオンを越えてヘレネは生き、アルケスティスは黄泉の国から立ち上がる。彼女たちを呼び戻すのは詩であり、死すべき乙女たちに不滅の若さを与えるのも詩である。」

— ウォルター・サヴェージ・ランドー

「名声の門と墓の門は、同じ楣(まぐさ)の下に並んで立っている。」

— ウォルター・サヴェージ・ランドー

「一枚、また一枚と葉が落ち、一輪、また一輪と花が散る。寒い時節に散るものも、暖かい時節に散るものもある。ひとしく咲き、ひとしく散り、それらを育てた大地がすべてを迎え入れる。大地の賢い子である私たちは、命が尽きたとき、その懐に身を沈めることにもっと満足してよいのではないか。」

— ウォルター・サヴェージ・ランドー

「死は姿こそ見えないが、すぐそばにいて、私の八十歳を惜しんでいる。私はこの最後の歳月をそっくり彼にくれてやってもいい、五十年前に過ぎ去ったあの一年と引き換えに。」

— ウォルター・サヴェージ・ランドー

「批評家ぶった口がやかましいこの世でささやかれるあらゆる「きまり文句」のなかで、偽善者のそれが最悪かもしれないが、いちばん苦痛なのは批評のきまり文句だ。」

— ローレンス・スターン

「時はあまりに速く過ぎ去る。私が一字を記すたびに、人生がどれほどの速さでペンのあとを追ってくるかを思い知らされる。」

— ローレンス・スターン

「脱線は、まぎれもなく陽光だ。脱線こそ読書の命であり魂である。」

— ローレンス・スターン

「人間の身体と精神は、上着とその裏地のようなものだ。一方をしわくちゃにすれば、もう一方もしわくちゃになる。」

— ローレンス・スターン

関連する人物