「(子どもが引きこもりになって)親まで悲壮になっても、ただただ追い詰められるだけだから」
山田ルイ53世の他の名言
「自分の負けとか、ダメなところとか、失敗したことっていうのをゴクリと飲み込むっていうのは、別に芸人じゃなくて人間誰しもしんどいし、できるならやりたくないこと」
「「ひきこもり」とは、部屋から外に出ないという行動面だけでなく、世の中に参加していないという面が大きかった」
「ちゃんとした社会人、ちゃんとした生活なんてざっくりした尺度は虚像に過ぎません」
「時には、誤魔化していく、逃げる、不安をミュートしていくというのは大切なこと」
「過去の自分を許せないのは、まだ自分のことを諦めていないから、自分に期待しているからではないでしょうか」
「我が家も夫婦喧嘩は勿論あります。でも、やっぱり不毛だなと思う」
「色々あるけど、不完全だけども、それはさておき「とりあえず」動いてみようと心掛けるのは良いかもしれません」
「(芸人になって後悔してる?)それはない」
「人間を主役か脇役で分けるクセがあったと言ったじゃないですか。人生40年も生きた今なら自分がエキストラ側の人間だったって分かる」
「僕は自分に起こる“良いことに対して、ものすごく懐疑的なんですよ。仕事が増えても「いやいや、これはすぐに終わるぞ」という気持ちがどこかにあった」
関連する名言
「私は誰とも争わなかった。争うに値する者などいなかったから。自然を愛し、自然の次に芸術を愛した。人生の火にかざして両手を温めた。その火は今、衰えてゆく。私は旅立つ用意ができている。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「死が私の上に立ち、耳元で何かをささやく。その奇妙な言葉について私に分かるのは、そこに恐れの言葉など一言もない、ということだけだ。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「滅びたイリオンを越えてヘレネは生き、アルケスティスは黄泉の国から立ち上がる。彼女たちを呼び戻すのは詩であり、死すべき乙女たちに不滅の若さを与えるのも詩である。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「名声の門と墓の門は、同じ楣(まぐさ)の下に並んで立っている。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「一枚、また一枚と葉が落ち、一輪、また一輪と花が散る。寒い時節に散るものも、暖かい時節に散るものもある。ひとしく咲き、ひとしく散り、それらを育てた大地がすべてを迎え入れる。大地の賢い子である私たちは、命が尽きたとき、その懐に身を沈めることにもっと満足してよいのではないか。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「死は姿こそ見えないが、すぐそばにいて、私の八十歳を惜しんでいる。私はこの最後の歳月をそっくり彼にくれてやってもいい、五十年前に過ぎ去ったあの一年と引き換えに。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「批評家ぶった口がやかましいこの世でささやかれるあらゆる「きまり文句」のなかで、偽善者のそれが最悪かもしれないが、いちばん苦痛なのは批評のきまり文句だ。」
— ローレンス・スターン
「時はあまりに速く過ぎ去る。私が一字を記すたびに、人生がどれほどの速さでペンのあとを追ってくるかを思い知らされる。」
— ローレンス・スターン
「脱線は、まぎれもなく陽光だ。脱線こそ読書の命であり魂である。」
— ローレンス・スターン
「人間の身体と精神は、上着とその裏地のようなものだ。一方をしわくちゃにすれば、もう一方もしわくちゃになる。」
— ローレンス・スターン