「孤独はそれを求めたり、感じたりしているときよりも、むしろ予期しないときに来るものだ。例えば明確に断言する、決断する、そういう時ふと自分に奈落を感じる場合があろう」
亀井勝一郎の他の名言
「私の感情としてあった中国人侮辱感は、その半面にヨーロッパ人やアメリカ人への劣等感を伴っていた。今度の戦争で無条件降伏するよりもずっと以前に、我々は「ヨーロッパ近代」に無条件降伏してきたのではなかったか。それで私の対米英戦争肯定の気持の中には、この劣等感に対する反発のあったことにも気づくのである。少なくともそれが私の民族主義のひとつの根拠になっていたのだ。しかし戦争責任の根本は中国侵略の肯定である」
「私自身は中国を旅したこともなく、中国人と交わることもなかったが、しかも心中では、いわれなき蔑視あるいは軽侮の感情をもち、この国と戦わねばならね悲しみを身にしみて感ずるようなことはなかったのである」
「井伏鱒二、太宰治等の作家に長く交わり、ともすれば生硬になりがちな批評家の批評筋肉といったものを、柔らかくもんで貰ったことも記しておきたい」
「(河上徹太郎の「批評の悦び」を読んで)あまりに批評家という言葉にとらわれすぎている。僕は自分が批評家とよばれようとよばれまいと大して意に介さない。もう少しゆとりある一個の人間であればいい。徹底した客観などというものは認められないのである。政治のみならず、文学においてさえ客観の姿ほどあいまいなものはない」
「小林秀雄は江戸の職人である。小林秀雄は栄養料理の名手である。只 この料理が必ずしも吾々の美観をまんぞくさせぬ」
「いくつになっても、こっぴどく自分をやっつけてくれる先輩を持つことは、悔しいけれど、人生の幸福である」
「私はその(文芸批評家の)間にあって、自分の凡庸さがわかり甚だ困惑してきた。それだけに刺激されるところ多く、勉強になった」
「念仏を唱えつつ金堂の中をへめぐったら、それで心は満ち足りるのだ」
「忘れ難い百済観音の姿は、私にとってはもはや観照の対象ではなく、信仰の対象となっていた」
「ここ(奈良)こそ真に憩いの場となるところらしい」
関連する名言
「自由は、責任をもって生きることがなければ、単なる気ままさへと堕落する危険がある」
— ヴィクトール・フランクル
「私はこの責任から尻込みしない。むしろ歓迎する」
— ジョン・F・ケネディ
「多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」
— 新約聖書
「自然は、鍵盤があらゆる音楽の音を含んでいるように、あらゆる絵の色と形の要素を含んでいる。」
— ジェームズ・マクニール・ホイッスラー
「画家に「自然をありのままに受け取れ」と言うのは、ピアニストに「ピアノの上に座ってよい」と言うようなものだ。」
— ジェームズ・マクニール・ホイッスラー
「芸術は「起こる」ものだ。どんな掘っ立て小屋もそれから安全ではなく、どんな王侯もそれをあてにはできない。」
— ジェームズ・マクニール・ホイッスラー
「自然が常に正しいという主張は、芸術的には、世間で当然のように信じられているほど真実ではない。自然が正しいことは極めて稀で、むしろたいていは間違っているとさえ言えるだろう。」
— ジェームズ・マクニール・ホイッスラー
「芸術における勤勉は、必要であって美徳ではない。仕事の跡を消せるのは、仕事だけなのだから。」
— ジェームズ・マクニール・ホイッスラー
「イギリス芸術などというものはない。イギリス数学と言うようなものだ。芸術は芸術であり、数学は数学なのだ。」
— ジェームズ・マクニール・ホイッスラー
「私は君と議論しているのではない。君に告げているのだ。」
— ジェームズ・マクニール・ホイッスラー