名言大学

人生はオーケストラである。

自分さえ犠牲になればよいのだ、
という情緒的な考え方ほど危険なものはありません。

やっといま人生が分かったと思う時、
自分は溌剌(はつらつ)として草や木の生い繁る森からもう出はずれる所へ来ている。

善人たちも、
また善人と見える人も、
実は私と同じように悪の衝動を持っているのだ。

愛の実体を追求しすぎることは、
ラッキョウの皮をむくようなもので、
ムキすぎると無くなってしまいます。

執着やねたみや憎しみのあるところには、
やがてそれをこやしとして愛というものが咲き出るかもしれません。

男と女というものは、
これは危険な組み合わせでな、
時とすると、
ものの言い方一つで夫婦別れや人死に、
などという事件が起こる。

愛というのは、
執着という醜いものにつけた仮の、
美しい嘘の呼び名だ。

女の涙は、
必ずしもいま口にしている事を理由として流れているのではない。

夕映えが美しいように、
老人の場所から見た世界は美しいのです。

家庭という宝物は壊れて失われる時に、
はじめてその真の価値を当事者に認識させる。

教養とは、
ホテルの食堂やレストランで、
フルコースの洋食を間違いなくきちんと食べられることだ。

進歩というものは、
我々をいそがしくしただけで、
幸福にしたとは言われないのではないか。

実質上の性の束縛の強制を愛という言葉で現代の男女は考えているのだ。
愛してなどいるのではなく、
恋し、
慕い、
執着し、
強制し・・

「真相」は分からない。
それを無理に追うよりも、
曖昧さの薄闇の中に、
物事をおぼろなままで放置せよ。
そこにあるおぼろな形が・・

自分は愛されている、
と思っている女はいつも魅力があるものだ。

伊藤 整(いとう せい、1905年(明治38年)1月16日 - 1969年(昭和44年)11月15日)は、日本の小説家、詩人、文芸評論家、翻訳家。本名は伊藤 整(いとう ひとし)。抒情派詩人として出発したが、その後詩作を離れて小説・評論に重心を移し、ジェイムズ・ジョイスらの影響を受けて「新心理主義」を提言。戦後は旺盛な著作活動に加え、ベストセラーや裁判の影響もあり、もっとも著名な評論家の一人となった。私小説的文学の理論化をめざすとともに自身も創作を行い、評論では『小説の方法』「近代日本人の発想の諸形式」「近代日本における『愛』の虚偽」『日本文壇史』などがあり、『氾濫』『変容』『発掘』は、夏目漱石の衣鉢を継ぐ近代小説三部作である。