名言大学

勤倹のニを外にして富を求むるは、
皆、
邪路と心得べきこと。

鋭きも鈍きもともに捨て難し 錐(きり)と鎚(つち)とに使いわけなば

広瀬 淡窓(ひろせ たんそう、天明2年4月11日(1782年5月22日) - 安政3年11月1日(1856年11月28日))は、江戸時代の儒学者で、教育者、漢詩人でもあった。豊後国日田の人。淡窓は号である。通称は寅之助のちに求馬(もとめ)。諱は建。字は廉卿あるいは子基。当初の号は別号は青渓。死後、弟子たちにより文玄先生とおくり名されたという。末弟に広瀬旭荘、弟・広瀬久兵衛の子孫に、日田市長、衆議院議員だった広瀬正雄、その息子の広瀬勝貞は現大分県知事。