名言大学

旅するおかげで、
我々は確かめることができる。
たとえ民族間に国境があろうとも、
人間の愚行には国境がない。

歴史的な言葉というものは、
偉大な人物がその死後口にした言葉である。

アンドレ・プレヴォ

吝嗇(けち)というものは結局、
(人間同士の)愛情とは最も縁もゆかりもない代物(しろもの)である。
というのは、
吝嗇漢(り・・

夫婦を結びつける絆が長く続くためには、
その絆が弾性ゴムでできていなければならぬ。

アンドレ・プレヴォ

時はその使い方によって金にも鉛にもなる。

アンドレ・プレヴォ

男の顔は自然の作品、
女の顔は芸術作品。

アンドレ・プレヴォ

ラブレター・・・・青年は急いで読み、
壮年はゆっくり読み、
老人は読みなおす。

アンドレ・プレヴォ

人は同棲するために結婚し、
三人家族になるのを避けるために離婚する。

独身者とは、
妻を見つけないことに成功した男である。

アンドレ・プレヴォ

女性が最も激しく愛するのは往々にして最初の愛人であるが、
女性が最も上手に愛するのは常に最後の愛人である。

アンドレ・プレヴォ

手紙──受け取った時には希望、
読んだ時には失望。

アンドレ・プレヴォ

宗教は大きな河に似ている。
源泉から遠ざかるにつれて、
絶え間なく汚れている。

アンドレ・プレヴォ

恋愛の株式市場には、
安定株はない。

老人とは、
待合室で列車が遅れて着くことを望んでいる者のことだ。

アンドレ・プレヴォ

女は自分の美点のために愛されることに時として同意するが、
常に好むのは、
自分の欠点のために愛してくれる人のほうだ。

アンドレ・プレヴォ

アンドレ・プレボー(Andr Prvost、1860年3月26日 - 1919年2月15日)は、フランスの男子テニス選手。1900年のパリ五輪で、同じフランスのジョルジュ・ド・ラ・シャペルと組んで男子ダブルスの銅メダルを獲得した選手である。彼は妻のエレーヌ・プレボーと一緒に、夫婦でパリ五輪に出場した。黎明期の全仏選手権(現在の全仏オープンテニス)でも、1900年に男子シングルス準優勝の成績を残した。Prevostというフランス人名の読み方は、日本語では「プレヴォー」が最も多く見られる。