名言大学

自分の伝えようとした言葉が相手に伝わらないとき、
理解できない相手が悪いというのか、
あるいは自分が悪いと考えるのか、
ここ・・

学校で宿題を出されて子どもが勉強机に向かっていれば、
勉強の習慣が付くと、
保護者は安心するに違いありません。
(中略)しか・・

学校は人が「社会の中でよりよく生きていける」ようになるために学ぶ場所です。
そしてその結果として、
学校で学んだ子どもたち・・

すでに分かっている生徒にとっては、
宿題は無駄な作業(中略)宿題を出すのであれば教師は、
「分からないところをやっておいで・・

幼稚園や保育園、
小学校で心の教育の象徴としてよく言われている、
「みんな仲良くしなさい」という言葉があります。
この言葉に・・

学校が(学ぶ)「手段」の一つにすぎないことは、
教師こそが理解すべきだと考えます。
それができれば、
不登校は世間で騒がれて・・

たとえ、
何らかの事情で学校に行けなくなったりしても、
学校以外にも学びの場はありますし、
社会とつながることだってできます・・

教員は子どもが行った行為一つひとつについて何が重要なのか、
本質的に悪いことなのかどうか、
その軽重をよく考えて、
指導しな・・

学校における体育の目的については、
技能を高めることや競争心を養うことよりも、
運動の楽しさを求めることの方が大切だ。
スポ・・

自律的に学ぶ経験を積まないと、
決して工夫して仕事ができる人にはなりません。

勘違いしてはいけないのは、
「学校に来る」こと自体は、
社会の中でよりよく生きていけるようにするための一つの「手段」にすぎ・・

学校は(学校という場所で)子どもに学びたいという気持ちをどのように持たせてあげられるか、
一人ひとりの学びをいかに保障す・・

大人が先回りをして、
手を掛けすぎて育てられた子どもの多くは、
自律できなくなっていきます。
そして、
自分では解決できない問・・

作文は読み手を想像しながら、
文章の構成や書き出しを工夫して、
読んでくれる人の興味関心を喚起しようとするものです。
そうし・・

自分が「分からない」問題を「分かる」ようにするプロセスが、
多くの宿題においては欠けている。

(組織改革では)目的と手段が一致しないものや、
手段が目的化しているものは廃止・見直しをする。
その上で、
本来の「目的」を・・

何より大切なことは、
自分の特性に合った(知識や技術の定着)方法を見つけることです。
そして、
その適した繰り返しの方法こそ・・

学校でしっかりと勉強をして、
家では、
好きな音楽を聴いたり、
本を読んだり、
スポーツをしたり、
あるいは、......

人と比べた点数ではなく“自分はどんな風にがんばったかのプロセスをちゃんと聞いてもらってほめられている子どもは、
たとえ・・

(担任による手厚い指導を受けて)自律することを学ばない子どもは、
物事がうまく行かなくなると、
担任教員に責任転嫁をします・・

(子どもがテストで100点をとってきたとき)結果をほめたたえるよりも、
どんなふうに勉強の方法を工夫して、
どんな風に努力・・

学校においては、
子どもたちが立てる目標は、
ややもすると「立てただけで終わり」のスローガン的になりがちです。
教員の中には・・

もし、
書いた文章が相手に伝わらないとしても、
それを理解してくれない相手が悪いんだと思うのではなく、
相手に伝わる文章を書・・

個人に自己犠牲を求め、
個性を認めないような組織は、
本質的に強くなれない。

学習は「できない」問題を「できる」ようにするプロセスでないと、
意味がない。

そもそも自分の目標を立てるに当たり、
その目標を他人に見せる必要はありません。
誰かに言われて目標を立てるものでもありませ・・

子どもがテストで100点をとってきたとき、
ただそのまま褒めると、
実はその子は将来、
挫折する可能性があるんですよ。
(中略・・

自分を見つめ、
自分の生き方を深く考えることは、
自分を成長させるためにとても大切なことです。

学校へ行かない(=不登校の)子どもがいても、
周囲の大人が平気な顔でいられるような社会がよい。

教員が、
子どもの指導・支援で用いる言葉は、
子どものその後の生き方・価値観に影響する大切なメッセージです。
特に、
子どもが・・

「分からない」ことが「分かる」ようになるためには、
2つの作業が必要です。
一つは分からないことを聞いたり、
調べたりするこ・・

学校にきて学習指導要領に定められたカリキュラムをこなしても、
知識を丸暗記してテストでよい点をとれるようになっても、
社会・・

私はよく教員に、
「どうでもよいことと、
どうでもよくないことを、
分けて叱りませんか」と話しています。
どうでもよいことなら・・

工藤 勇一(くどう ゆういち、1960年 - )は、日本の教育者。横浜創英中学・高等学校校長。