名言大学

理想と現実とは独立したものである。
理想と現実が衝突するならば悲しいけれども、
そのために理想を捨てて、
あるいは理想を低く・・

生活には懐疑というのが密雲のように幾重にも襲うてくる。
若(も)しくはずっと疑って動かない。
それを克服することは容易な業・・

この世は無常迅速というてある。
その無常の感じは若くてもわかるが、
迅速の感じは老年にならぬとわからぬらしい。

恋は二つとない大切な生活材料だ。
真面目にこの関所にぶつかれば人間は運命を知る。

我々は恋愛において、
その恋愛のなかに運命を見るときに初めて夫たらんと決意する。

恋をしだすと、
へんに死のことが気になりだすものだ。

純な青年時代を過ごさない人は深い老年期を持つ事も出来ないのだ。

信じて騙されるのは、
誠のものを疑うよりどれ程まさっているだろう。

おゝ平和 もっとも遠い もっとも内の。

生に対する無限の信仰と尊重とを抱いて立つ時、
自殺は絶対的の罪悪ではあるまいか。

愛されたい願いが善い願いであるならば、
事実として愛されていなくとも、
死まで依然として愛されたいと願うべきである。

愛は欠けたるものの求むる心ではなく、
溢(あふ)るるものの包む感情である。
人は愛せらるることを求めずして愛すべきである。

若い時には若い心で生きて行くより無いのだ。
若さを振りかざして運命に向かうのだよ。

百の悪行に悩まされて自分の罪を感じている悪人よりも、
小善を積んで己の悪を認めぬ偽善家のほうが仏の愛から洩れている。

愛とは他人の運命を自己の興味とすることである。
他人の運命を傷つけることを畏れる心である。

恋愛は性欲と質を異にするものではなく、
より高き形における性欲である。

たとえ遊女でも純粋な恋をすれば、
その恋は無垢(むく)な清いものです。
世の中には卑しい、
汚れた恋をするお嬢さんがいくらあ・・

恋愛は、
生命が性を通して天的なものに達せんとする生命の営みである。

恋するとき人間の心は不思議に純になるのだ。
人生のかなしみがわかるのだ。
地上の運命に触れるのだ。

青春は短い。
宝石の如(ごと)くにしてそれを惜しめ。

ああ、
滅びるものは滅びよ。
崩れるものは崩れよ。
そして運命に壊されぬ確かなものだけ残ってくれ。
私はそれをひしとつかんで墓・・

願いとさだめとを内面的につなぐものは祈りだよ。
祈りは運命をよびさますのだ。
運命を創り出すと言ってもいい。

倉田 百三(くらた ひゃくぞう〈または、くらた ももぞう〉、1891年〈明治24年〉2月23日 - 1943年〈昭和18年〉2月12日)は、日本の劇作家、評論家で大正、昭和初期に活躍した。故郷の広島県庄原市には、倉田百三文学館がある。