名言大学

灼熱の熱さをくぐったものとは つゆ思えぬ静かさで ここに白磁の壺がある

太陽は夜が明けるのを待って昇るのではない。
太陽が昇るから夜が明けるのだ

根を養えば樹はおのずから育つ根の深さとひろがりが樹の高さと広がりになる

どの子も子どもは星みんなそれぞれがそれぞれの光をいただいてまばたきしている

川は岸のために流れているのではない川のために岸ができているのある子どもは学校のために来ているのではない子どものために学校があるのである

青色青光(しょうしょく・しょうこう)黄色黄光(おうしょく・おうこう)赤色赤光(しゃくしょく・しゃくこう)白色白光(びゃくしょく・びゃくこう)は私の願いです

本物は続く。
続けるから本物になる

ほんものでない自分に対して言わなければならぬことを、
私は教師顔して他人に言い続けて来ました

聞くは話すことより消極的なことのように考えられがちですが、
これくらい消極的な全身全霊をかけなければできないことはない

そうじは答案です。
授業のあり方が、
生活指導のあり方が、
一点の誤差もなく正確に表れてくる

学習成績はどんな方法をとっても 数字などで換算できるものではない。
今日の青少年たちの荒れは、
この残酷な人間評価に対する反乱である

繁栄の毒素にやられ、
子どものいのちが衰弱している教育においては、
ものの貧しさよりもものの豊かさの方が、
おそろしい

天に向かってブツブツ言うな雨の日には雨の日の生き方がある

今が本番、
今日が本番、
今年こそが本番明日がある、
明後日があると思っている間は、
なんにもありはしない

生きているということは死ぬいのちをかかえているということうれしいようなさびしいような愛しくてならぬこの なまあたたかい生きているということの肌ざわり

根気・根性・性根 それが人間を決定する。
ほんものはつゞく、
つゞけるとほんものになる

書くということは、
自分を整理することである。
書くということは、
自分を確立することである

生きている健康である手が動く足で歩ける目が見える耳が聞こえるこの当たり前のことの中にただごとでない幸せがある

東井義雄(とういよしお/ぎゆう、1912年(明治45年)4月9日 - 1991年(平成3年)4月18日)は、日本の教育者、浄土真宗僧侶。

兵庫県豊岡市但東町佐々木にある浄土真宗の東光寺に生まれる。1932年(昭和7年)に姫路師範学校を卒業した。卒業後、豊岡小学校赴任を皮切りに小学校教師として奉職、多くの著作を著す。1972年(昭和47年)に八鹿小学校校長を最後に定年退職。翌年4月より姫路学院女子短期大学、兵庫教育大学の講師を務め、1987年(昭和62年)辞任。55年間の教員生活に終止符を打つ。1991年(平成3年)急性硬膜下出血で逝去。東光寺住職。。

本・作品