名言大学

平和とは戦争がないことですが、
どう考えても戦争はなくならないでしょう。
今の社会、
つまりリアリズムの世界で戦争がない平和を願うことは、
「ファンタジー」です

「映画を語る」ってことが日本では(この作品が)「好き」とか「嫌い」とか、
まあテレビ番組の延長レベルの話なんだけど、
ここ(ニューヨーク)ではしっかり研究をされていて、
とても的確なクエスチョンがくる

命というのは人間だけだと思うんだけど、
世界中みんな命じゃないかと

文学と映像とではメディアが全く違うわけです。
言語世界をそのまま引き写すのでは全く面白くもなんともない

本当にがんの宣告を受けてからね、
腕に蚊が止まるでしょ、
僕の血を吸っておなかがぷくーっと膨れているのを見ていると、
とてもはたけませんよ

小説を映画にすることはリスクはいっぱい背負うわけだけど、
今で言う“オンリーワンですよね。
それぞれの違いをどこかで確認しながら見る、
ということが物を鑑賞するということの一種の知的な楽しみ

映画はもっと広くて深くて俺の分からない映画があるはず

映画は日本では、
文化というよりはまだまだ芸能界の消耗品みたいなところがある

70年代いっぱいまでは、
青春も含め僕にとってのアメリカは表現者として一番「近い」国だった

(自身の映画は)世の中の映画の通念とはずいぶん違うことをやっている

20世紀が終わった今、
僕たちの科学文明は伸び過ぎた牙、
とがり過ぎたツメ、
生えすぎた毛皮になって、
とんでもなく“へんちくりんな生き物になってしまったのではないでしょうか?

21世紀は、
発展、
開発という力学に追いかけられてきた20世紀の価値観から脱却し、
もう一度僕たちの原点を見つめ直す、
“日本人としての約束を思い出す時期に向っているのではないかと思っています

1990年代を“失われた10年と言うようですが、
僕に言わせるとまさに“豊かなる10年です

僕は小説を映画にすることが多いですけど、
映画にしたい小説には決まりごとがあります。
それは、

映像が決して浮かばない小説であることです

(ガンを患って以降)地球のためにどう優しくすればいいかっていうことを考えて生きようと、
自然にそう思えてきてね。
そうするとありがたいことに、
全てのものが命に見えるんですよ

(ガンを患って以降のインタビュー)楽観的な人に薬がより効くんですって

僕初めてアメリカに来たのが1965年

僕自身としては、
極めて古典的に映画を作っているつもり

生きるってことは、
僕は映画を作って生きてきたわけだから、
じゃあ俺が作ってきた映画もそういうものだろうと。
過去をとやかく言ってもしょうがないから、
これから作る映画を処女作として作るつもりで、
画学生や、......

黒澤(明)さんは自分の自由と、
自由な表現と闘いながら闘いながらすぐれた映画を残していらっしゃった

(ガンと共に生きていくというお話の中で)「おい、
がん公よ」ってね、
話しかけるんですよ。
だんだんこいつ(ガン細胞)の声が聞こえてくるんです。
僕の同居人ですからね、
僕が宿主で

去年(2016年)の8月に私の映画人生76年の集大成として、
映画を作ろうとしたその前日に、
肺がん第4ステージ余命3か月という宣告を受けまして、
本当はいまここにいないのですが、
まだ生きております

映画を撮るということは発明なんです

20世紀に僕が撮った映画のほとんど全てには、
海が出てきて、
海が出てこないと寂しい思いをしていたのに、
21世紀に入ってからというもの、
海辺に行ってもキャメラが山の方を向き出した

60歳になったときは、
映画の先輩といえば小津安二郎さん、
こどもの頃から愛してきたちょっと兄貴分の手塚治虫さんもみんなちょうど60歳で死んでいるんです。
だから怖かったです

僕は瀬戸内海の尾道で生まれ育って、
18歳までそこで暮らしてきました

俺はそういう商業主義の映画は作らないぞ、
歴史に残る、
アートとしての映画を作るんだ、
てところが僕の刺激になっている

僕は商業映画の会社の仕事らしい仕事を一度もやったことがない人間です

戦争とは、
人が人であること、
人の人生、
命、
全てを失ってしまう

僕は死と言うのはいまだにわからないです。
でも少なくとも、
その瞬間まで映画を撮っていようとは決めています

映画というのはね、
ハッピーエンドなんですよね。
これは、
僕は映画が生んだ素晴らしいフィロソフィーだと思う

表現者というのは、
チャーミングな常識人であるべきだと僕は思っています

戦争という犯罪に立ち向かうには、
戦争という凶器に立ち向かうには、
正義なんかでは追いつきません。
人間の正気です。
正しい気持ち。
人間が本来自由に平和で健やかで、......

良い映画というのは正直に一生懸命自分が信じることを描くだけ

僕は芸術家だから芸術の話をしますと、
芸術というものはやはり役割があってね、
政治や経済でできないことができる

文化とは、
言ってみれば「故郷自慢」であり、
「スローライフ」であり、
さらに言えば「温故知新」である

同じ映画なのにアメリカで観るのと日本で観るのとでは全く違う

芸術はジャーナリズムだと僕は思ってるんですね。
優れたジャーナリズム。
平和に向かうジャーナリズムだと思うんです

芸術だけはオンリーワンの世界だから、
違いを楽しんで、
違いを尊敬しあって、
違う者同士が一緒に暮らそうというのがアートの世界だから、
これは戦争になりっこない

ジャーナリズムとはまさに庶民1人1人が語るもの。
民主主義の多数決なんかじゃありません

この頃(1960年頃)の映画を一言でまとめるとすれば、
『人とは、
傷つきあって、
赦しあって愛を覚える生き物です。
」をテーマにどの映画も描いてきていま

みんな考え方が違い、
自分と考えが違う人をいかに愛するかが芸術の本質

みんなで芝生に裸で寝そべって青い空見つめてそれで幸せだったら、
何も暗闇に入って映画なぞ見るものはいない

黒澤(明)や小津(安二郎)の続きをやったら、
お前達大監督だぜ。
」そういうと彼らは黒澤や小津をようやく見始めるんですよ。
それが伝統というのの大事なところでね

僕は小説も漫画も書きたいし、
なんでもやりたい人間

競争社会の中にある限りは、
突き詰めると戦争になっちゃう

文明はいつも“より早く、
より新しく、
より高く、
より効率よく僕たちの手足に代わって、
便利で快適な暮しを作ってくれる。
これは素晴らしい道具です

映画は機械文明が生んだ芸術ですから、
表現とは発明

元々何かを見ることよりも作ることへの興味が強い

マイナスで考えたらマイナスのことばっかりですよ。
予定通りに行くことなんて何にもない

大林 宣彦(おおばやし のぶひこ、1938年(昭和13年)1月9日。倉敷芸術科学大学客員教授、長岡造形大学造形学部客員教授、尚美学園大学名誉教授、文化功労者。

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