名言大学

家庭、
団欒、
そういうものを相手にしていては、
男子はほろびる

日本人は均一性を欲する。
大多数がやっていることが神聖であり、
同時に脅迫である

第一流の人物というのは、
少々、
馬鹿にみえる。
少々どころか、
凡人の眼からみれば大馬鹿の間ぬけにみえるときがある。
そのくせ、......

思想とは元来虚構である。
狂気で維持しつづけることによって、
世を動かす実体となる

学問も大事だが、
知ってかつ実行するのが男子の道である。
男子たるものは、
自分の人生を一遍の詩にすることが大事だ

自分は技術者である。
つべこべ政論をたたかわせているよりも、
技術が現実の歴史を解決してゆくことを知っている

絶望するよりも次へ跳躍

男子、
よき友は拝跪(はいき)してでも求めねばならない

人の一生というのは、
たかが五十年そこそこである。
いったん志を抱けば、
この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、
その目的の道中で死ぬべきだ

歴史の魅力は時をおいて評価できることだ

私には、
幸い、
この世にたくさんのすばらしい友人がいる。
歴史の中にもいる

私は、
歴史小説を書いてきた。
もともと歴史が好きなのである。
両親を愛するようにして、
歴史を愛している

いつの時代でもそうであったように、
自己を確立せねばならない

自分というものに学校というものは一切存在理由がなかった。
自分にとって図書館と古本屋さんさえあれば、
それで十分であった

古今、
物事を革新するものは多くはその道の素人である

男は危機に立ってはじめて真価の分かるものだ

人間というものは、
いかなる場合でも、
好きな道、
得手の道を捨ててはならんものじゃ

自己の生死に関するような重大な運命の決定はごく軽い調子できめるのが、
薩摩人の伝統的なダンディズムというものであった

君が天才であろうとなかろうと、
この場合たいしたことではない

人間は、
鎖の一環ですね。
はるかな過去から未来にのびてゆく鎖の

諸君はきのうの専門家であるかもしれん。
しかしあすの専門家ではない

男子は生涯一事をなせば足る

男子、
人の恨みをいちいち気にしては大事をなせまい

新撰組は裏切らぬ。
最後のひとりになっても、
裏切らぬ

勇気と決断と行動力さえ持ち合わせておれば、
あとのことは天に任せれば良い

おのおの、
その志のままに生きよ

男子は好悪のことはいうべきではない

一生というものは、
美しさを作るためのものだ、
自分の。
そう信じている

人の人生には、
命題があるべきものだ

人間にとって、
その人生は作品である

世に絶望ということはない

人間の威厳などたよりにならぬもので、
生きて手足を動かしているという、
ただそれだけのかぼそい条件で成立している

物事に惚れるような体質でなければ世上万般のことは成りがたい

人の世に、
道は一つということはない。
道は百も千も万もある

目を瞑ったのは、
覚悟をきめるためであった

妻が陽気でなければ、
夫は十分な働きはできませぬ。
夫に小言をいうときでも、
陰気な口からいえば、
夫はもう心が萎え、
男としての気追い込みを失います

五十年連れ添おうとも、
ただの二夜であろうとも、
契りの深さにかわりはないとおもいたい

皇国の興廃、
此の一線に在り。
各員一層奮励努力せよ

精神主義は多くは無能な者の隠れ蓑であることが多いが、
乃木希典のばあいにはそういう作為はない

人間の脳裏の追憶というものは、
事実として記憶されるよりも、
詩として記憶されるものかもしれない

漢(おとこ)は愛嬌こそ大事だと西郷はおもっている

真の強者の道は自分の天命を知り、
みずからの運命に満足することであるかもしれない

軍人ほど過去の経験が意識を決定しがちな種類の人間もいないだろう

司馬 遼太郎(しば りょうたろう、1923年〈大正12年〉8月7日 - 1996年〈平成8年〉2月12日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。本名は福田 定一(ふくだ ていいち)。筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。
大阪府大阪市生まれ。産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送る。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』などがある。『街道をゆく』をはじめとする多数の随筆・紀行文などでも活発な文明批評を行った。

本・作品