名言大学

大学時代、
真っ向勝負で井口にホームランを打たれて、
初めて打たれて気持ちが良いと思った

最後はカープでユニホームを脱ぎたい

1年2年かけて得た自信こそ本当の自信になる

一度ヤンキースに断りを入れても、
ヤンキースはもう1日待つという返事でヤンキース入り決めた

僕は高校時代補欠だった。
それでも考え方、
生き方を変えれば創造を超えた場所でプレイできる

ドジャースと契約が切れた時、
CARPに戻ろうと一度は決断した

結果も毎年良くなっているので、
アメリカのやり方を信じてトライしたのも僕にとっては良かった

苦しまずして栄光なし

アメリカに来たのでアメリカの野球を受け入れないと、
自分のことも受け入れてもらえないと思った。
こっちに来た以上はこっちのやり方も自分でトライしてみないと。
そういう姿勢というのは、
みんなに伝わると思う。
アメリカの野球をしに来たので、......

怠けたくはない。
登板するたびに自分を完全燃焼させたい。
期待に応えられない時の怖さを維持したい

打たれる事が怖くなくなった時、
僕のプロ野球選手人生は終わり

力が残っている時に日本に戻る。
もちろん広島で

日本に帰るならカープ

僕が他球団のユニフォームを着て、
広島市民球場でカープのファン、
カープの選手を相手にボールを投げるのが自分の中で想像がつかなかった

アテネオリンピックの時に先発ではなくセットアッパーだったから今の僕がある

40歳になりますし、
あと何年野球ができるか分からないですし、
カープで野球をすることの方が1球の重みを感じれる

自分は粘り強くない。
目の前の目標にこだわる

自分の力を信じるのはいい。
周囲の評価を謙虚に受け入れる事も重要

CARPに入って本気で野球に取り組んだのは4年目から

一つ思うのは、
鈍感になるのも必要だということ。
たとえば時差があって、
いつもと起きる時間がずれたとき。
神経質になり過ぎると、
ストレスを感じ、......

選んだ道が「正解」となるように自分で努力することが大切

僕がメジャーに行ったのは30代。
けがをしたら終わりという年齢からスタートしてるんで、
そういう意味での開き直りという強さもあったかもしれない。
強さというのは、
人間としてのスタミナ。
すべてに対してのスタミナ、......

マウンドに上がる時は戦場に行く気持ち

日本とアメリカで求められる物が違えば僕の仕事も変化する

メジャーリーガーにとって「心技体」の中で一番大切なのは「体」である

プライベートな事柄をマウンドに持ち込むことは許されない

メジャーでは、
『常に100%の状態でマウンドに上がれることはない』と自分に言い聞かせてました。
100%を求めると、
もしそうでないとき、
技術面もメンタル面もどんどんネガティブになる。
基本、......

カープで優勝することが、
自分のこれからの野球人生の中で高いモチベーションになるんじゃないかな?
というのが一番だったと思います

母親からもらった最も大切な信条 ー 信念を貫き通す

カープへの復帰はプロフェッショナルとしてワンランク上にいけると思った

野球の楽しさを教えて欲しい

広島という環境が僕を育ててくれた

もしかしたらいつまでも野球を好きになれないのかもしれない。
いや、
好きだから続けているのかもしれない。
子供のころからやっているので、
宿命のように感じている部分もありますし、
でも一方で何度か野球を辞めるタイミングがあったのに辞めなかったということは、......

ヤンキースというチームに来て、
あれだけの契約をしてもらいましたから(1年1000万ドル)、
どうしても全部勝たなきゃいけない、
という感覚になっていました。
マラソンでいえばスタートしたてのまだまだ先が長いなか、
ピッチが上がっていかないというのは相当しんどかったです

(チームの中心選手である)ジーターが、
ポサダ(ヤンキースのOB)とかに、
うちの投手陣で一番好きなピッチャーのヒロキだよ、
っていつも紹介してくれたんです。
お世辞かもしれないですけど、
すごく嬉しかったし、......

僕らは市民球場でまったくお客さんが入らない時代も、
万年Bクラスの時代も知っています。
誤解して欲しくないんですが、
カープは今はすごくプロ野球のチームっぽくなった(笑)。
もちろん、
いい意味で

(座右の銘について)雪に耐えて梅花麗し ー 寒い冬を耐え忍んだ梅の木ほど、
華麗な花をつける

勝ち星ではなかなか大投手と呼ばれる人たちに追いつかなかったとしても、
そこは自分の力で行ける部分だと思うんで。
イニングをこなすというのは、
怪我をせず、
コンディションを整えて投げ続けるということ。
自分の野球が終わるときが来たら、......

(「日米通算の登板イニング数」が歴代最多となったことについての言葉)そうなんですよ。
誰も気づいてくれないんです

(甲子園に出ていれば人生は変わっていたかという質問に対する答え)天狗になってしまうということも含めて、
まず、
大学の進路が変わっていたでしょう。
僕は専修大学に行って、
『甲子園に出た選手には負けたくない』という気持ちでやっていた。
そういうモチベーションは確実にあった。......

いつまで体が続くかわからないですけど、
体が続く限り、
チームのために投げていきたいと思っています

メジャーではいつも、
通訳の人に『次の登板のその先のことは僕の耳に入れないでくれ』と言ってました。
自分は次の登板で頭がいっぱいで、
その先のことを言われると頭がパンクしてしまうので

カープに来たことを正解にする

ニューヨークだろうが、
カープだろうがマウンドで投げる重みは変わらない

食事も普通なら登板前日は炭水化物をとる、
栄養バランスを考える、
となるけど、
アメリカでは日本食レストランがないところもある。
『これを食べないといけない』って考えたらストレスの一つになってくる。
日本に帰ってきてからの食事は外食と、......

小学校から中学校までは親父が監督をするチームでプレーしていたんですけど、
とにかくグラウンドに行くのが楽しみで仕方なかった。
ただ、
それ以降は地獄でしたけどね。
だからこそ、
今もあまり楽しんだらいけないと思っているのかもしれないですね。......

仕事ですからね、
野球は

アメリカン・リーグの東地区の球場はヒッターズ・パーク(バッター有利の狭い球場)ばかりだったので、
そういう部分ではメジャーの方が大変でしたし、
もともと僕がいたカープは広島市民球場でしたから。
あの狭い球場を経験しているので、
そういう意味では、
広島のマツダスタジアムができて広くなったというのは、......

(若手選手への助言の言葉)自分がおかしいと思ったら首を振れ

(キャンプ時から若手らに発言していた言葉)教えることはそんなにない。
とにかくストライク先行でいけ

黒田 博樹(くろだ ひろき、1975年2月10日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。野球解説者。

元メジャーリーガーで、現役時代にはNPBの広島東洋カープおよび、MLBのロサンゼルス・ドジャースやニューヨーク・ヤンキースで活躍。実父の黒田一博も元プロ野球選手(外野手)である。

日本人投手として初めて、NPB/MLB通算先発勝利(先発投手勝利)数のみで公式戦200勝を達成。2018年シーズン終了時点で、NPB/MLBの40球団から勝利を挙げた唯一の日本人投手でもある。また、広島時代に着用した背番号15は、現役を引退した2017年から同球団の永久欠番として扱われている。アテネオリンピック野球の銅メダリスト。引退後は、よしもとクリエイティブ・エージェンシー→吉本興業とマネジメント契約。

本・作品