名言大学

本来、
日々の出来事すべてが、
その人自身をかたち作っていくもの。
ゆえに、
役者は芝居で、
いろんな役を演じているものの、......

若ければ、
境遇が恵まれないことに、
理不尽さや怒りを感じて「くそー!」なんて叫んでもいいと思うのですが、
30歳、
40歳になっても同じことを言っていたら、
負け惜しみになるでしょう

この境遇を受け入れた上で、
自分なりに歌舞伎役者としての、
生き方を切り開いていこうと覚悟した

先輩に「君に主役はまわってくることはないよ」と言われ、
「残酷なことを言うよなあ」と思いつつ「じゃあ、
しょうがないな」と諦めてしまったら、
しょせんそこまでの人生でしょう。
それは嫌だった

萬屋一門として8歳から、
舞台に立たせてもらっていましたが、
代々伝わる名門中の名門というわけではないのと、
初代獅童を名乗った父が、
歌舞伎役者を早々に廃業し、
「後ろ盾がいない」ということで、......

歌舞伎というのはいつの時代にも、
「今」を生きる人たちが演じ、
表現するもの。
そのことを、
僕らの世代を通して、
若い人たちにも分かって欲しいし、......

50年後、
さらには何百年後までも(歌舞伎を)残していきたい

色々なお仕事をさせていただいていますが、
僕の芯にあるのはあくまで歌舞伎なんです。
僕を育ててくれた歌舞伎が好きでたまらない

歌舞伎を辞めようと思ったことは何度もありました

そしてまた「わが国ニッポン」へ戻ってきた時、
どんなことができるようになっているか、
自分がどう変化しているのか、
そこも楽しみなんですよね

そこ(歌舞伎以外のお仕事)にはいつもと違う風景と、
新たな人々との出会いがあって、
いろいろなものを吸収できる。
新たな発見、
気づきもある

歌舞伎が僕のホームグラウンド「わが国ニッポン」だとしたら、
それ以外のお仕事は、
「海外を旅する」感覚に近いかも

役者というのは、
そういう自分をさらけ出す仕事だと思っています

演じていない時間をどう生きているか、
日々の生活をどれだけ大切にしているか、
どんな経験を積み重ねてきているかは、
非常に大事なこと。
それらによって自分という、
人間が形成されていくわけですから

人って案外鋭くて、
見破ろうと思って演劇やテレビを、
観ているわけではないのに、
その役者の人間性を簡単に見抜きます

僕を育ててくれた歌舞伎が好きでたまらない

歌舞伎にはいままでに自分が興味を持ったすべての要素が凝縮されている

何かこう、
特別扱いされることにすごく抵抗を感じていて、
学校では学校の自分、
歌舞伎では歌舞伎の自分でいたかったんです

みんなと同じなのに“いや、
あの子は、
歌舞伎の子なんだよって言われるのがものすごく嫌だった・・

小学生の頃、
歌舞伎の舞台に出ていることには、
学校では一切触れてほしくなかったんです

自分の想い云々よりも、
母の喜んだ顔が何より嬉しかったですね。
それも含め、
いろんな想いがこみ上げました

歌舞伎を本格的にはじめた18、
19歳ぐらいの時に、
最初はやっぱり「主役やってくことは難しいですよ」って言われたんですが、
この年になって座頭やらせていただけるようになったということは感慨深いものがあるし、
それは大変ありがたいことです

今も表参道を通ると、
ほっとしますよ。
都会にいる感じがして

庭って程ではないけど、
バンドやっていた頃なんかは、
ライブの前には原宿界隈の古着屋に行って・・10代の頃は原宿、
表参道、
渋谷あたりはずっと歩いて移動していたんです

ほんと僕がちっちゃい頃ですが、
祖母がコープオリンピアに住んでいたんで、
表参道近辺は馴染みがあるんです

表参道はよく行きますよ。
学生時代は古着屋に行ったりとか、
しょっちゅう。
今も夜歩く事なんかもありますね

綾瀬さん。
面白いですよね。
僕のことを中村『しゅどう』だと思っていて。
まだ思ってるんですよ

なんかの週刊誌に、
僕がプロデューサーに直談判して『脱ぐ』って言ったと書いてあるって聴いたんですけど、
それ嘘で

髪の毛を伸ばしているのと、
日に焼いているのは役柄です。
これは、
必ず書いてください

(山本は)熱いですよ、
もう!!熱すぎちゃって佐藤浩市さんと僕とパンツ一丁になって歌ってましたからね!!堺雅人は頼んでもないのにパンツも脱いでましたからね!!

僕が死んだ後、
十何代目中村獅童と名前が継承されていくよう努力しなければと思っています

“お年寄りが観るものというイメージは、
今もどうしても強いとは思います

小学生の時に「小川くん(本名)が演っている歌舞伎ってどういうの?
」ってクラス中の人にわぁーっと聞かれて、
ものすごくそれが、
恥ずかしい・・っていうか、
聞かれることが嫌で、
下を向いちゃった時に、......

学校にいる時の“一般人・小川幹弘の感性も持っていて、
でも、
“歌舞伎で街にいる若者を振り向かせられるような存在に、
自分がなれたらいいな、
と思ったし、
そういう存在であり続けないといけないと思っています

ガツーンとくる感動っていうのは、
ロックも歌舞伎も同じだし

歌舞伎の中にはそういう、
様々な要素が凝縮されているんだと判った瞬間に、
「これ、
もしかしたらめちゃくちゃ楽しい世界なのかな?
」って思ったんです

僕はいま歌舞伎役者だけど、
バンドでプロを目指そうかと思ったこともあるくらいロックも好きだったので、
ロック好きな10代の少年という一面や、
ファッション好きの一面もあって

例えばファッションを好きな人たちはコスチュームに着目して観るだろうし、
僕もファッションの仕事をやるけれど、
歌舞伎であれだけ色々なコスチュームを着けるから「歌舞伎の衣装が一番楽しいでしょ?
」ってどんなファッション関係の人でも言いますもんね。
それぐらい歌舞伎っていうのはファッショナブル

歌舞伎は難しいことも沢山あるけど、
ちょっと思考を転換すると、
面白いですよ

そういう歌舞伎を知らない人たちに、
歌舞伎のカッコ良さを伝えたいっていう気持ちが芽生えたのはその時ですね

自分も観客としてすごく楽しめて、
何か、
「悪くないな」って思いました

普通のロックとかバンドやっているような学生でも「歌舞伎すげーな」「俺ギターやっているから、
三味線ばっかり気になっちゃったよー」なんて言う、
生の声が聞けたから、
「あ、
こういう学生の人たちが観ても歌舞伎って面白いんだ」、
って思ったんです

何が良かったって、
「歌舞伎、
意外と面白いよな!」なんて、
生身の10代の学生の意見を聞けたのが嬉しかったですね

ちょうど大学生の時、
学校の授業で歌舞伎を観に行ったんです。
自分が生きてきた世界を、
客席でちゃんとチケット代を払って観客として、
客観的に観ることは初めてだったので、
その時に初めて自分が生きてきた歌舞伎界が、......

色々悩んで、
歌舞伎じゃない道もあるかなって思ったりしましたよ

演者である自分なりの想像があったり、
観客である皆さんの想像もちろんそうだし、
本だったら読者もそうですよね。
そこに何が“正解、
何が“不正解ということはなくて、
この原作を自分なりにどのように感じて、......

花井が「何でこういう風になったのかな?
」っていう、
はっきりした理由が無いところにやりがいがあると思うんです。

まだ歌舞伎に触れた事の無い若い方々には、
僕が出ているものを、
最初に歌舞伎を観るきっかけにしてもらいたいな(笑)

色々な人に獅童ならではの“レクチャーではないけど、
僕が様々な事を経験して、
今まで生きてきたから、
獅童だからこそ、
獅童だからできる説明っていうのがあると思っています

今、
こうやって話しているみたいに、
若い人たちに「歌舞伎ってこう」で、
「俺はロックも好きだけどそういうのもあって・・ファッションもそうだし」、
って話すと、
みんな「そうなの!?」って、......

中村 獅童(なかむら しどう)は、歌舞伎役者の名跡の一つ。初代の屋号は播磨屋、当代は萬屋。初代の定紋は揚羽蝶、当代は桐蝶。