名言大学

「できる」という喜びのほうが強かったですね。
「撮影できる」「編集できる」「ダビングできる」という、
そのすべてが嬉しいんだよ

あぶれた同士で組もうかって。
同じクラスに出川哲朗もいたんだけど、
俺はなんとなく本能で「こいつとは組まないほうがいい」って察したんだよね

(夫婦円満の秘訣は)「ありがとう」です

まぁ、
運がよかったよね。
当時は今に比べてお笑いの人口も少なかったから

一日の中で何回も笑うような生活が好き

夢を追う人と諦める人、
二つの男の生き方を描いている作品なのですが、
どちらも自分で下した決断だから、
間違いではないんです

辞めていったやつらのことも今まで見てきたからね。
僕の事務所でも何組もいましたし。
その度に頑張ってなって握手して。
そういう気持ちもやっぱり思い出しました。
そういうのも背負って書かなきゃって思いましたね

“コンビって、
絶対嫌いじゃない所があるから成立しているんだと思います

だから、
お互い絶対に嫌いなところってあると思うんですよ。
でも、
ほんとに嫌いだったら、
どのコンビも解散していると思います

もうコンビ結成して28年になるから、
お互い色々溜め込んできたんですよね(笑)

僕は実際にコンビを組んでいて、
お互いにたぶん嫌なところいっぱいあるんだと思うんです

時間が経つ度にプレッシャー感じてきましたが、
やります! とことん。
楽しみます!

(専門学校の)卒業公演の役は「漫才師B」だった

いやでもホント、
同じ釜の飯を食ったというか、
なんかちょっと違いますよね

朝3時、
4時は当たり前、
という感じでやってました

うん、
まあ〜、
よく昼から夜中までやってましたね、
あん時は

でも、
ものすごい長い気がするよね〜、
あの『夢で逢えたら』という番組

ま、
その〜、
『夢で逢えたら』という番組で、
3年半・・・ぐらいかな〜、
一緒にやってましたね

(ダウンタウンについて)あっ!そうだよな、
『お笑いスター誕生』、
うちらが初めてオーディションに行ったときに、
居たんだよね

(夢をつかむためのコツは)ありきたりだけれど、
努力をしながら続けること。
辞めてしまったら、
その時点で何もかもが終わりですから

夢を追う人はそのまま成就させて欲しいけど、
諦めた人も別の道でまた違う夢が見つかる。
僕はそう信じています

(今までで一番凄かった接待は?
)あ〜、
やっぱ、
やっぱそう考えると、
バブル時だな

そうです、
私パンツを貸したことがあります、
浜ちゃんに

あ〜そうですね、
あの〜、
衣装がその当時あんまり無かったから

そうです、
(ダウンタウンの)2人のおかげで私、
初めてディズニーランドに行きまして〜

空いたんだ、
スタジオ収録が飛んだんで

印象に残ってんのはね〜、
あの〜、
ふふふっ、
ダウンタウンの2人がですね、
食中毒をおこしたとかいう

こ〜んなちっちゃかったもん、
お前、
23のとき

その〜、
25、
26あたりのね、
一番その、
時代に、
一緒にやってたという感じで

他のあの〜、
コンビとはちょっと違う

エンディングにかかるピアノの曲が、
すごいなんか日曜の終わりを感じさせて、
あんな楽しかった日曜日が現実に戻っちゃう、
あのピアノのメロディーで

俺だって、
北海道行って、
『九州男児』のコントしかやってない

バブル期ですね、
あんとき考えたらものすごい製作予算でしたよね

やっぱフジテレビの、
なんか、
『やるやら』あたりのバブル・・・

ものすごい、
そのあとげっそり、
げっそり

それで、
ちはるがなんか酔っ払っちゃって、
堤防から下に落ちちゃって

そうそう、
ふっふっ、
あれでなんか、
ちはるが溝に落ちたんだよね

この世界に入って、
やっぱり一番接している人が影響受けたから、
やっぱタモさんと鶴瓶師匠かな、
う〜ん、
一番長く『いいとも』でずっと一緒だった

(内村航平について)彼には勇気づけられた。
内村として非常に誇り。
内村で良かった

コント番組の金メダルを目指して頑張りたい

まだ監督をしたっていう実感がなくて、
あのメンバーがいてこそ実現したメモリアルな要素の強い作品なので、
全員で作り上げたと思っています

中学生のとき5番でサードだったんです

映画に出演しているメンバーはふかわ以外みんな野球好きなんですけど、
彼らと毎週のように飲んでいる席で、
「草野球やりたいっすねぇ」って言い合っていたのがヒントになりました

俺って魅力あるかな?

そんなふうには言わない!母親、
そんなふうには俺に言わないな

テレビの前のちびっ子達、
食ってやろうか!!!

最後に笑うのは誰かって事よ!

結構、
クルーザーで遊び連れてってもらったりだとか、
タモさんので、
鶴瓶師匠とか、
俺とか乗って、
すっげー楽しかった

人徳っていうわけではないです(笑)。
でも今までお付き合いのあった人たちに出演していただくことができました

内村 光良(うちむら てるよし、1964年〈昭和39年〉7月22日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優、司会者、映画監督、作家。熊本県人吉市出身。お笑いコンビ・ウッチャンナンチャンのメンバーで、相方は南原清隆。愛称は「ウッチャン」。マセキ芸能社所属。妻は徳永有美。