名言大学

私は太平洋の橋になりたい

自分の現在の義務を完全に尽くす者が一番偉いと思う。
そして、
自分の現在の義務は何であるかをはっきり認め得る人は、
人生の義務と目的とを理解する道に進むのであろうと思う

勇気を修養するものは、
進む方の勇ばかりではなく、
退いて守る方の沈勇もまたこれを養うよう心掛けねばならぬ。
両者がそろって真の勇気が成る

とかく物事には明暗の両方面がある。
私は光明の方面から見たい。
そうすれば、
おのずから愉快な念が湧いてくる

この世には完全無欠の物もなければ、
全然無用の品もない。
われわれの親にも子にも友人にも欠点があれば、
われわれの憎み嫌う人にも特長がある

(正しくあれ、
恐れるなかれ)

他者の感情を尊重することから生まれる謙虚さ、
慇懃さが礼の根源である

人生の目的は宗教観念がなければ解決できない

ほら吹きと臆病者は、
同じ身体の中に宿っている

強き人はよく耐える。
よく耐える人を強者という

自分が生まれてきたときより死に至るまで、
周囲の人が少しなりともよくなれば、
それで生まれた甲斐があるというものだ

学べどもなお学べども学べども学び足りぬは学びなりけり

衆の為めに努むるを生命といふなり。
死とは何事をもせざるの意なり。
己れを棄つるは是れ生命の始(はじめ)なり

小さいとき髪をといてくれるのも、
ほかの人がすると痛いが、
母親だと痛くなかった。
ここに自然な無理のない母の愛がある

名誉は「境遇から生じるもの」ではなくて、
それぞれが自己の役割をまっとうに務めることにあるのだ、
ということに気づいているのは、
ごくわずかの高徳の人びとだけである

薔薇に対するヨーロッパ人の讃美を、
我々は分つことをえない。
薔薇は桜の単純さを欠いている

人は誰しもいったん安定した世界に身を置くと、
精神もそれにならって俗化し、
理想を忘れてだんだん怠惰になっていくようだ

いわゆる十分に力を出す者に限って、
おのれに十二分の力があり、
十二分の力を出した者が、
おのれに十五分の力があることがわかってくる

籠城主義もいいが、
それは手段であって目的ではない。
寄宿舎の窓を開いてもっと世の中に接し、
社会的観念を養成して実社会に活動できる素地をつくれ

武士道精神は損得勘定をとらない。
むしろ足らざることを誇りにする

嫌いな人に会ったとき、
私はわき上がる感情を抑えようと一生懸命になったし、
人を好きになったときは、
その気持ちを押し殺すよう全力を傾けた

数世紀の試練を乗り越えた書物のなかに我々は、
困窮における富、
悲しみにおける歓喜、
そして孤独における絆を見いだすのである

真の勇気とは、
猪突猛進ではなく、
しっかりと立ち上がり周囲を見回して、
いま成すべきことを見つけ出すことができるかである

あの黒雲の後ろには太陽が輝いている

武士道の究極の理想は平和である

何事であれ、
もし何かをしようとすれば、
それを為すための最善の方法とは、
もっとも無駄がなく、
もっとも優美なやり方になるであろう

いかに苦しいことがあっても、
ヤケになるのは短慮の極みである。
逆境にある人は常に「もう少しだ」と言って進むといい。
やがて必ず前途に光がさしてくる

勇気がある人というのは、
心の落着きが姿にあらわれているものです

武士道は知識を重んじるものではない。
重んずるものは行動である

世の中には、
譲っても差し支えないことが多い

信実と誠実となくしては、
礼儀は茶番であり芝居である

人間は、
それぞれ考え方やものの見方が違うのが当然である。
その違いを認め合い、
受け入れられる広い心を持つことが大切である

真の学問は筆記できるものではない。
真の学問は行と行との間にある

急がば回れだ。
休むなかれ、
急ぐなかれ

武士の教育において守るべき第一の点は品性を建つるにあり

義に過ぎれば固くなる。
仁に過ぎれば弱くなる

事が起きたら最悪の事態を想定すればいい

近代的な教育制度といっても臆病者を英雄にすることはできない

心が籠もっていなければ礼とは呼べない

日本人の表皮を剥げばサムライが現れる

もっとも悲しむべきことは、
名誉にも打算がつきまとったことである

自殺願望者は、
世界中に恐るべき速さで増加しており、
苦痛もなく手間のかからない自殺の方法がはやるのではないか

剣は天国の鍵でもあれば、
地獄の鍵でもある

人間の伸々するのは、
頭で伸びるのではない。
肚で伸びるのである。
この肚に温か味があつて、
始めて人間が伸びる

死を軽蔑するのは勇敢な行為である。
だが生きることが死ぬことよりつらい場合、
まことの勇気はあえて生きることである

切腹をやり遂げるには、
極限までの冷静さが必要だった

知的好奇心は日本民族の特徴で、
この点では私も完全に日本人であった

バックボーンたる精神を捨てれば、
それに代わるものとして登場するのは、
目に見える物質主義となるのは必然である

妻は夫のために自分を捨て、
夫は主君のために自分を捨てる。
そして主君は天の命に従う奉仕者であった

戦雲が地平線に重くたれ込めようとも、
平和の天使の翼がこれらを吹き払ってくれることを信じよう

新渡戸 稲造(にとべ いなぞう、1862年9月1日(文久2年8月8日) - 1933年(昭和8年)10月15日)は、日本の教育者・思想家。農業経済学・農学の研究も行っていた。