名言大学

(軍を率いてルビコン川を通過した際の言葉。
軍団を率いてルビコン川を越えることはローマ法で禁止されており、
ローマに対する反逆とみなされた。
「もうあとへは引けない」という意味)賽(さい)は投げられた

ガイウス・ユリウス・カエサル

概して人は、
見えることについて悩むよりも、
見えないことについて多く悩むものだ

ガイウス・ユリウス・カエサル

学習より創造である。
創造こそ生の本質なのだ

ガイウス・ユリウス・カエサル

人は喜んで自己の望むものを信じるものだ

ガイウス・ユリウス・カエサル

わたしは王ではない。
カエサルである

ガイウス・ユリウス・カエサル

元老院議員諸君、
諸君に限らず、
すべての人間にとっても、
疑わしいことに決定を迫られた際、
憎悪や友情や怒りや慈悲はひとまず忘れて対するのが正当な対し方であると思う

苦境は、
友を敵に変える

ガイウス・ユリウス・カエサル

何かを生み出す行動でなければ、
行動とは言えない

ガイウス・ユリウス・カエサル

分断して征服せよ

ガイウス・ユリウス・カエサル

(ゼラの戦いの勝利をローマに知らせた言葉。
カエサルの明瞭簡潔な文体の特徴をよく表す言葉)来た、
見た、
勝った

ガイウス・ユリウス・カエサル

私は助言を愛す、
しかし助言者を憎む

ガイウス・ユリウス・カエサル

人間とは噂の奴隷であり、
しかもそれを、
自分で望ましいと思う色をつけた形で信じてしまう

ガイウス・ユリウス・カエサル

予測されるけれども目に見えない危険は、
人の心を最もかき乱す

ガイウス・ユリウス・カエサル

指示を与える者には責任があり、
指示を受ける者には義務がある

ガイウス・ユリウス・カエサル

自分は自身の考えに忠実に生きたいと思う。
それは、
他人も同様だろう。
だから、
他人の生き方も認める。
そうして、......

ガイウス・ユリウス・カエサル

率先して死のうとする男を見つけ出すのは、
忍耐をもって苦痛に耐えようとしている男を発見するより容易である

ガイウス・ユリウス・カエサル

(暗殺される日の朝、
暗殺計画を警告する文を渡されたときの言葉)明日読もう

ガイウス・ユリウス・カエサル

カエサルの妻たる者は、
疑われることさえもあってはならない

ガイウス・ユリウス・カエサル

始めたときは、
それがどれほど善意から発したことであったとしても、
時が経てば、
そうではなくなる

ガイウス・ユリウス・カエサル

(『ガリア戦記』第1章。
ベルガエ族は現在のベルギーに住んでいたガリア人の一派)そのすべてのうちでベルガエ族は最も強壮である

ガイウス・ユリウス・カエサル

理性に重きを置けば、
頭脳が主人になる。
だが、
感情が支配するようになれば、
決定を下すのは感性で、
理性のたち入るすきはなくなる

ガイウス・ユリウス・カエサル

(暗殺者であるマルクス・ユニウス・ブルートゥスにいった言葉)フィリピで再会しよう

ガイウス・ユリウス・カエサル

ローマで二番になるより、
村で一番になりたいものだ

ガイウス・ユリウス・カエサル

私の発言は法律とみなされるべきだ

ガイウス・ユリウス・カエサル

アレクサンドロスの年齢に達したのにも拘らず何もなしえていない

ガイウス・ユリウス・カエサル

身の安寧に汲々としているようでは生きている甲斐がない

ガイウス・ユリウス・カエサル

(生前に死に方を問われた時の言葉)私が無事息災でいることは、
ローマのためにも必要である。
私は長い間権力を握っており、
もし私の身の上に何かが起こったら、
ローマは平穏無事であるはずがない。
もしかすると悪くなる可能性があり、......

ガイウス・ユリウス・カエサル

共和政ローマは白昼夢に過ぎない。
実体も外観も無く、
名前だけに過ぎない

ガイウス・ユリウス・カエサル

(キリキアの海賊に囚われの身となり、
海賊が身代金として20タレントを要求した時の言葉)20では安すぎる、
50タレントを要求しろ

ガイウス・ユリウス・カエサル

スッラは政治のイロハを分かっていなかった

ガイウス・ユリウス・カエサル

人間ならば誰にでも、
現実のすべてが見えるわけではない。
多くの人は、
見たいと欲する現実しか見ていない

ガイウス・ユリウス・カエサル

文章は、
用いる言葉の選択で決まる

ガイウス・ユリウス・カエサル

(『ガリア戦記』第一章冒頭の言葉)全ガリアは三つの部分に分かれる

ガイウス・ユリウス・カエサル

(暗殺された際、
叫んだとされる言葉)ブルータス、
お前もか

ガイウス・ユリウス・カエサル

いかなる悪しき先例も、
最初は正当なる措置として始まっている

ガイウス・ユリウス・カエサル

カルタゴ戦争の時、
勇敢な先祖が象を倒した

ガイウス・ユリウス・カエサル

ガイウス・ユリウス・カエサル(古典ラテン語:Gaius Iulius Caesar、紀元前100年 - 紀元前44年3月15日)は、共和政ローマ末期の政治家、軍人であり、文筆家。「賽は投げられた」(alea jacta est)、「来た、見た、勝った」(veni, vidi, vici) 、「ブルータス、お前もか (et tu, Brute?)」などの特徴的な引用句でも知られる。また彼が布告し彼の名が冠された暦(ユリウス暦)は、紀元前45年から1582年まで1600年間以上に渡り欧州のほぼ全域で使用され続けた。