名言大学

善悪と言っても、
天が決めたものではなく結局、
人間にとって便利かどうかだけの話である

大事を成さんと欲する者は、
まず小事を務むべし。
大事を成さんと欲して小事を怠り、
その成り難きを憂いて、
成り易きを務めざる者は、
小人の常なり。......

誠実にして、
はじめて禍(わざわい)を福に変えることができる。
術策は役に立たない

人道は一日怠れば、
たちまちすたれる

道徳を忘れた経済は罪悪である。
経済を忘れた道徳は寝言である

貧となり富となる。
偶然にあらず、
富も因て来る処あり、
貧も因て来る処あり。
人皆貨財は富者の処に集まると思へども然らず。
節約なる処と勉強する所に集まるなり

貧富の違いは、
分度を守るか失うかによる

すべての商売は、
売りて喜び、
買いて喜ぶようにすべし。
売りて喜び買いて喜ばざるは道にあらず。
貸借の道も、
また貸して喜び、......

貧者は天分の実力をわきまえず、
みだりに富者をうらやみ、
その真似をしようとする

富をみて直ちに富を得んと欲する者は、
盗賊鳥獣に等しい。
人はすべからく勤労して、
しかる後に富を得る

昔蒔く、
木の実大木(おおき)となりにけり、
いま蒔く木の実、
後の大木ぞ

朝夕に善を思っていても、
その善事を実行しなければ善人とはいえない。
だから悟道治心の修行などに時間を費やすよりは、
小さい善事でも行なうのが尊い。
善心が起こったならば、
すぐ実行するがよい

楽しみを見て直ちに楽しみを得んと欲するものは、
盗賊鳥獣に等しい。
人は勤労して後に楽しみを得る

世人は蓮の花を愛して泥を嫌がり、
大根を好んで下肥を嫌がる。
私はこういう人を半人前という。
蓮の花を養うものは泥である。
大根を養うものは下肥である。
蓮の花や大根は、......

およそ人と生まれ出た以上は、
死ぬのは必定だ。
長生きといっても取るに足らぬほどの相違で、
たとえばロウソクに大中小とあるようなものだ。
人と生まれ出た以上は必ず死ぬものと覚悟してしまえば、
一日生きれば一日の儲け、......

衰えた村を復興させるには、
篤実精励(とくじつせいれい)の良民を選んで大いにこれを表彰し、
一村の模範とし、
それによって放逸無頼(ほういつぶらい)の貧民がついに化して篤実精励の良民となるように導くのである。
ひとまず放逸無頼の貧民をさし置いて、
離散滅亡するにまかせるのが、......

貧者は昨日のために今日つとめ、
昨年のために今年つとめる。
それゆえ終身苦しんでも、
そのかいがない。
富者は明日のために今日つとめ、
来年のために今年つとめるから、......

一万石の米は一粒ずつ積んだもの。
1万町歩の田は一鍬ずつの積んだもの。
万里の道は一歩ずつ積み重ねたもの。
高い築山(つきやま)も、
もっこ一杯ずつの土を積んだものなのだだから小事を努めて怠らなければ、
大事は必ず成就する

世の中は、
知恵があっても学があっても、
至誠と実行がなければ、
事は成らない

学者は書物を実にくわしく講義するが、
活用することを知らないで、
いたずらに仁はうんぬん、
義はうんぬんといっている。
だから世の中の役に立たない。
ただの本読みで、......

可愛くば 5つ数えて 3つ褒め 2つ叱って 良き人となせ

樹木を植えて、
30年たたなければ材木にはならない。
だからこそ後世のために木を植えるのだ。
今日用いる材木は、
昔の人が植えたものだとすれば、
どうして後世の人のために植えないでよかろうか

人々にはそれぞれ長所もあり、
短所があるのは仕方がない。
相手の長じているところを友として劣っているところは友としてはいけない。
人の短所を捨て、
長所を友とするのだ

古語に「三年の蓄えなければ国にあらず」といっている。
外敵が来たとき、
兵隊だけあっても、
武器や軍用金の準備がなければどうしようもない。
国ばかりでなく、
家でも同じことで、......

キュウリを植えればキュウリと別のものが収穫できると思うな。
人は自分の植えたものを収穫するのである

悪いことをした、
やれまちがったと気づいても、
改めなければしかたがない。
世の中のことは、
実行によらなければ事は成就しない

生きているときは人で、
死んで仏になると思っているのは間違いだ。
生きて仏であるからこそ、
死んで仏なのだろう。
生きてサバの魚が、
死んでカツオになる道理はない。......

奪うに益なく譲るに益あり

昔から方位で禍福を考えたり、
月日で吉凶を説いたりすることがあって、
世間ではこれを信じているが、
この道理はあり得ない。
禍福吉凶というものは、
人それぞれの心と行ないとが招くところに来る

速成を欲するのは、
人情の常である。
けれども成功、
不成功には時期があり、
小さい事柄でも、
おいそれとは決まらない。......

桃栗三年、
柿八年というように、
因果にも応報にも遅速があることを忘れてはならない

積小為大(せきしょういだい)

富は人のほしがるものだ。
けれども人のために求めれば福を招き、
己のために求めれば禍を招く。
財貨も同じことで、
人のために散ずれば福を招き、
己のために集めれば禍を招く

政事は豆腐の箱の如しである、
箱が歪めば豆腐も歪む

世の中の人はみんな、
聖人は無欲だと思っているが、
そうではない。
その実は大欲であって、
正大なのだ。
賢人がこれに次ぐもので、......

凡人は小欲なり。
聖人は大欲なり

経文といい経書といい、
その「経」という文字は、
もともと機の縦糸のことだ。
だから縦糸ばかりでは用をなさず、
横に日々実行を織りこんで、
はじめて織物として役に立つのだ。......

世間一般の人の願望は、
もとより遂げられるものではない。
というのは、
願っても叶わぬ事を願うからだ

世の人はみんな金銭の少ないのを嫌って、
ひたすら多いことを願うけれど、
もしも金銭が銘々の願いどおりに多かったとしたら、
砂や石となんの違いもない

財貨は海のようなものだ。
貧富、
苦楽は、
水を渡る術を知っているか、
いないかにある。
泳ぎの上手な者は水を得て楽しむし、......

財はよく人を富ますが、
またよく人を貧しくするのは、
なぜかといえば、
天分の度合に小と大とがあるからだ。
小と大とに即応して経理する術を知っている者は、
貧窮の憂いがない

貧富は分度を守るか分度を失うかによって生ずる。
分度を守って、
みだりに分内(予算)の財を散らさなければ富にいたるし、
分度を失い、
他から借財して分内に入れるようであれば、
やがて貧に陥る

すでに熟したものを差し置いて、
まだ熟しないものを心配している。
これは人情の常である。
しかし、
まだ熟しないものを心配するより、
すでに熟したものを取り入れる方が、......

国や家が窮乏に陥るのはなぜかといえば、
分内の財を散らしてしまうからである。
これを散らさないようにさえすれば、
国も家も必ず繁栄を保つことができる。
国や家の衰えを興そうとするには、
何よりもまず分度(予算)を立てるがよい。......

災いは過去の因縁によって来る場合もある。
名僧が強盗にあったときの歌に「前の世の借りを返すか、
いま貸すか、
いずれ報いはありとしぞ知れ」と詠んだとおりだろう。
決して迷ってはならない

世の中には、
人がまだ捨ててはいないが、
活用していないものが多い。
これらをよく拾い集めて、
国家を再興する資本とすれば、
多くの人を助け、......

万事はどうなるかという先を見通して、
前もって決めておくことが肝心だ。
人は生まれると必ず死ぬべきものである。
死ぬべきものだということを前に思い定めてかかれば、
生きているだけ日々もうけものだ。
これが、......

心の力を尽くして、
私心がないものは必ず成功する

よく徳に報いる者は、
将来の繁栄のことはさておき、
今日ただいまの丹精(心を込めて励むこと)を心掛けるから自然と幸福を受けて、
富貴がその身を離れない

心の田畑さえ開墾ができれば、
世間の荒地を開くこと難しからず

二宮 尊徳(にのみや そんとく)は、江戸時代後期の経世家、農政家、思想家である。自筆文書では金治郎(きんじろう)と署名している例が多いが、一般には「金次郎」と表記されることが多い。