名言大学

かつては「平和」のために軍備が拡張せらぬばならぬと言われた。
いまは「平和」のために軍備が縮小せらぬばならぬと言われる。
「平和」がそれを聞いたら何と答えるだろう

今日まで自分を導いてきた力は明日も自分を導いてくれるだろう

私たちの不安は何一つ自発的に働きかけるようなものを持たないで ただただ受け身の位置にあることを暗示させられる所からくる

人間のためと言いましても自分のすぐ隣にいる人から始めるよりほかに仕方がない

人の世に三智がある。
学んで得る智 人と交わって得る智 みずからの体験によって得る智 がそれである

古いものを壊そうとするのは無駄な骨折りだ。
ほんとうに自分等が新しくなることが出来れば古いものは壊れている

親はもとより大切である。
しかし自分の道を見出すということは、
なお大切だ。
人は各自自分の道を見出すべきだ

ああ、
自分のようなものでもどうかして生きたい

生命は力なり。
力は声なり。
声は言葉なり。
新しき言葉はすなわち新しい生涯なり

すべて、
徹底を願うことは、
それにともなう苦痛も多い。
しかしそれによって与えられる快感は何ものにも見出すことが出来ない

ユーモアのない一日は、
極めて寂しい一日である

この世にあるもので一つとして過ぎ去らないものは無い。
せめてその中で誠を残したい

こうしているのがこれが君、
人生かね

寂しい道を歩き続けて来たものでなければ、
どうしてそれほど飢え渇いたように生の歓びを迎えるということがあろう

病のある身ほど、
人の情の真と偽とを烈しく感ずるものは無い

好い笑いは、
暖かい冬の陽ざしのようなものだ。
誰でも親しめる

わきめもふらで急ぎ行く 君の行方はいずこぞや 琴花酒のあるものを とどまりたまえ 旅人よ

木曽路はすべて山の中である

愛の舞台に上って馬鹿らしい役割を演じるのは、
いつでも男だ

弱いのは決して恥ではない。
その弱さに徹しえないのが恥だ

人生は大いなる戦場である

人が四十三歳にもなれば、
この世に経験することの多くがあこがれることと失望することとで満たされているのを知らないものもまれである

明日は、
明日はと言ってみたところで、
そんな明日はいつまで待っても来やしない。
今日はまた、
またたく間に通り過ぎる。
過去こそ真(まこと)だ

ずっと年をとってからの日のために、
雪が降ったから茶でも飲みにお出で下さいと言えるような、
そういう老後の友達を三、
四人つくって置きたい

待ち受けた夜明けは、
何もそう遠いところから白んで来るでもなく、
自分の直ぐ足許から開けて行きそうに見えた

人力の限りあるを知るのが自信だ

お伽噺の無い生活ほど、
寂しい生活は無い

強烈な威圧の力も結局小さなたましい一つをどうすることも出来ない

いつまでも君、
恋の影なぞに欺されて居られるものか。
唯、
誠が残ればいい

彼は人から聞いた話よりも、
彼自身の内部に一層よく父を見つけて行った

われわれは何処へ行っても、
皆な旧い家を背負って歩いてるんじゃ有りませんか

手を貸して下さい。
この病後の力なさをお救ひ下さい。
私も今このまゝ旅の途中で倒れたくはありません

新しき言葉はすなわち新しき生涯なり

生きたくないと思ったって、
生きるだけは生きなけりゃなりません

結婚するのに精神の勇気を要するならば別れるのにとっては猶更精神の勇気を要する

皆一緒に学校を出た時分──あの頃は、
何か面白そうなことが先の方でわれわれを待っているような気がした

旅じゃ有りませんか、
誰だって人間の生涯は

文章を添削することは心を添削することだ。
その人の心が添削されない限りは、
その人の文章が添削されようがない

涼しい風が吹いて来る

何卒(どうぞ)私の言うことを克く記憶(おぼ)えて置いて下さい

一生に秘訣とはこの通り簡単なものであった。
「隠せ」――戒はこの一語(ひとこと)に尽きた

田山君、
死んでゆく気持ちはどうだね

若き聖ののたまはく 道行き急ぐ君ならば 迷ひの歌をきくなかれ

誰か旧き生涯に安んぜむとするものぞ。
おのがじし新しきを開かんと思へるぞ、
若き人々のつとめなる

なげきと、
わづらひとは、
わが歌に残りぬ。
思へば、
言ふぞよき。
ためらはずして言ふぞよき。......

新しきうたびとの群の多くは、
たゞ穆実なる青年なりき。
その芸術は幼稚なりき、
不完全なりき、
されどまた偽りも飾りもなかりき。
青春のいのちはかれらの口唇にあふれ、......

うらわかき想像は長き眠りより覚めて、
民俗の言葉を飾れリ。
伝説はふたゝびよみがへりぬ。
自然はふたゝび新しき色を帯びぬ。
明光はまのあたりなる生と死とを照せり、
過去の壮大と衰頽とを照らせり

遂に、
新しき詩歌の時は来たりぬ

わたし達の急務は、
ただただ眼前の太陽を追ひかけることではなくて、
自分等の内に高く太陽をかかげることだ

昨日またかくてありけり 今日もまたかくありなむ この命なにをあくせく 明日をのみ思いわずろう

島崎 藤村(しまざき とうそん、1872年3月25日〈明治5年2月17日〉 - 1943年〈昭和18年〉8月22日)とは、日本国における詩人又は小説家である。本名は島崎 春樹(しまざき はるき)。信州木曾の中山道馬籠(現在の岐阜県中津川市馬籠)生まれ。