名言大学

人間には触ることのできるものを持っておきたい欲望がある

よいコンサートほど眠たくなりますよ、
必ず。
だから、
寝られないようなコンサートはダメです

オリジナルであるために学び続けろ

「音楽」が救いと言うのはあまり言いたくないけれど、
そういう役割というのは絶対にありますね、
音楽は

音楽の学校に真面目に行っている人には申し訳ないけれど、
ほとんどモノにならない(笑)。
演奏家や作曲家は違うかもしれないけれど、
例えば音楽の世界のエンジニアなんかで、
どこの国でも「うわ、
こいつはすごい」って人は、......

100年後にも人々に聴かれている音楽をつくること。
自分を漱石と比較する気はないけれど、
漱石が死んだ年をとっくに過ぎてしまったことに忸怩(じくじ)たる思いがある

ケージはやはりとても巨大で、
でも、
ぼくにとっては、
ナム・ジュン・パイクに連れられて行ったケージのペントハウスで、
こっそりキッチンに忍び込み、
例の茸が収納されている薬棚を目撃した日のことが、......

多くの若い世代の人たちが、
それら(政治、
憲法)を身近に考え、
自分の意見を述べ、
行動に移しています。
これらのことが私たちにとっては唯一の希望です

結婚は紙一枚  離婚は・・・・

情報過多の社会だから常に何かの説明を必要としてるっていうか・・買う方も説明聞かないとわかんないみたいな。
音楽なんて一番直感的なもんだから説明なんて本当はいらないはずなのに。
聴いてただ好きか嫌いかってそれだけでいいわけなんだけど

自分でもたくさん曲があるじゃないですか、
1000曲以上あるのかな?
良いものも悪いものも当然あるんですけど、
やっぱり考えて作ったのはダメですね

25歳とか、
もっと若い人に聞いてほしいところなんですけど、
だいたい僕も含めて、
あるジャンルで一人前になってる人たちのなかで、
なりたくてなった人はほとんどいないんですよ

大学時代にダベっていた友達とは現在ほとんど交流はありません。
よく新聞とかで、
エライ企業人とかの昔話しで、
友達の大切さ、
なんて書いてありますよね。
ぼく、......

僕のなかでは“モテるとか、
もっと言うと“金がほしいということと音楽が結びついていなかった

息苦しい社会に対しては「引きこもるかアウトローになるか、
外国に出るか」が有効な手段だ

欧米のいわゆる純音楽以外のミュージシャンで譜面の読み書きができる人は殆どいません。
そんなものなくても音楽はできるし、
元々なかったものです。
音楽自体は何万年もあるけれど、
譜面なんてたかだか1000年ちょっとなんです

自分の居場所なんて、
自分で決めればいいんだよ

たとえば、
一生かかっても僕が会うことがないだろうルーマニアの小さな村のおばちゃんが、
たまたま僕の音楽を耳にして、
「ああ!」と思ってくれる音楽を作ることができるのか。
そこが僕の基準です

音楽に、
完全なオリジナルは存在しない

いま普通に手に入る音源のなかで、
おどろいたことにCDが一番クオリティが高いんですよ。
なくなるはずのCDが一番音質がいい。
だから買ってラップトップに取り込んでいます

大づかみのテーマになるようなメロディーやフレーズをたくさん考え、
それらからふさわしいものを選択。
また、
2分半程度の短い音楽のなかに、
ドラマにあるいくつかの要素をどう配置するかなど。
テーマを選んだあとも、......

カラオケに行くと歌える歌がなくて困るんですよ。
だいたいメロディーは覚えていても言葉を覚えられないので歌えないんですけど。
歌えるのは『黒い花びら』(水原弘) とか。
第一回レコード大賞受賞曲

最近はますますひどくなって、
耳鳴りがしない日はほとんどないくらい。
音もどんどん大きくなってきていて、
朝、
目が覚めた時から爆音が頭で鳴り響いているように感じる時もあります

福島を忘れないでください。
原発のない日本を作ってください。
脱原発を目指す政治家は協力してください。
日本の未来である子供たちを守ってください

やっぱりYMOがなかったら、
その海外に出ていくということもなかったと思いますしね。
一応その(いろいろな)葛藤があったけど、
やはりやってよかったなとは思いますけどね

NYで911テロを体験して、
音楽を楽しめるってことは、
平和じゃないと楽しめない。
だから僕は音楽家だからこれからも音楽をやるためには、
平和でないと社会が世界がね。
困るなという。......

ミス・マッチをやるために、
逆にミーティングをたくさんやった。
そのシーンのイメージやミス・マッチの狙いを何回も話し合った

(風立ちぬの評価について)審査員の中では否定の声はなかったが、
賞をあげるまでは、
という感じだった・・エンジニアが自分の夢を追うのは美しいのだが、
完成した戦闘機がアジアの人々を殺したり、
若い兵隊が戦争で犠牲になったりしている。
その視点が欠けていたのが気になった

楽曲のすべてをドラムが支配していることが昔からいやでしようがなかった。
YMOでやっていたテクノは、
機械的なオン・ビートにすることでドラムの存在感が希薄になってたからやってたの

YMO『体操』はあれ、
ブルース進行だからね。
あのライヒみたいな組み合わせの音だと、
ブルース進行でもあまりブルースに聞こえないんですよ

自分の思い通りに生きたがどうかが大事。
長さではない どう生きるかどう死ぬかっていうのは個人が責任を持って選んで下さい

甘ったれるなよ

大島渚さんが逝ってしまった。
監督が、
お一人で台本を抱えて来られ、
映画に出演してくださいとおっしゃり、
私は無謀にも『私に音楽をやらせてください』とお願いし、
全てはそこから変わった。......

父は僕に、
簡単に何かになろうとするなと言ってくれていました。
30歳までは遊んでいろと。
自分が分かるまでは仕事なんて選べないということだったのでしょう。
そして今は僕もそう思うのです

練習嫌いのぼくがいうと説得力がないかもしれないけど、
とにかく好きな音楽を弾くのが一番。
好きな音楽だったら、
うまくなりたいと一生懸命練習するでしょう。
それをきちんと弾けるまで練習を積み重ねる

1曲の中で5%は個人の本当のオリジナル。
95%は伝統。
自分は5%のおもしろい部分に興味がある

偉大な映画監督、
偉大な人でした。
社会を厳しく叱る人間がいなくなり、
日本は少しつまらない国になったかもしれません。
あなたのすべてにありがとう

(ニューロニアン・ネットワークについて)シムーンに近い曲ですね。
たぶん僕が細野さんに頼んだんだと思う。
ちなみに、
僕はシムーンよりこっちのほうが好きなんです。
仕上がりもスタイリッシュというか。
スタイルが確立されている、......

いつも音楽やアートは100年とか150年単位で変化していくのですが、
今確実に変わりつつあります。
次にどういうものになるかはまだわからなくて、
それが2050年頃じゃないかと勝手に思っています

映像で語りきれないことを、
音楽で語らせる、
という方法もある。
チャイナタウンという映画は、
二人の関係を、
音楽でしか語っていないんです。......

これはYMOのコンセプトだったんですが、
僕らの音楽はそれほど大衆性があるわけではないので、
日本だけで100万枚売るのは難しい。
しかし10カ国で10万枚ずつ売れれば100万枚だし、
100カ国で1万枚ずつ売れても100万枚。
これは不可能ではないんじゃないかと・・

ここ数年、
日本に帰りたいと思い始めました。
ニューヨークは好きだけど、
やっぱり人生の最期は生まれ育った国で迎えたい。
アメリカの白っちゃけた土でなく、
日本の真っ黒でふくよかな土に埋められて、......

もともと、
自然の声を聞くということはアートの根源だと思います。
現代社会で生きていると忘れがちになる自然からのメッセージに対し、
敏感に反応する回路を取り戻していく。
それが、
震災以降これからのアートの役割にもなっていくと感じています

初めて会ったのは32年前の東京ですね、
1980年。
確か最初のツアーで来まして、
僕らYMO 3人で観に行きまして、
その楽屋でクラフトワークとYMOという(笑) そのあと六本木のディスコに行きまして、
一緒に踊りましたね。......

声を上げる。
上げ続ける。
あきらめないで、
がっかりしないで、
根気よく。
社会を変えるには結局、......

ずっとニューヨークにいましたが、
いつも見てシュプレヒコールあげていました。
ミュージシャンということじゃなく、
1人の日本人としてきました。
みんなであきらめずに。
がんばりましょう

全体的に感じたのは、
いわゆるエレクトロニカ系とか言われる・・・・まあ、
その中にもたくさんあるので、
ひとつの言葉で括るのは難しいんですけど、
ま、
そういう傾向のものが、......

シンセサイザーは音をつくっていくものなので、
そのなかではプロフェット5がいちばん使いやすい

音楽のためだけに音楽を書いていると、
音楽という様式の中での洗練へと向かわざるをえない、
それはひとつの完成に向かうこと、
生命が死んでゆくことですよね。
面白くも何ともないのね

1990年代にコーネリアスやピチカートファイヴが“ポップなジャパンの下地を作ったので、
Perfumeの可能性はかつてよりもはるかに高いと思いますね。
ネットを通して価値観も変わってきているし、
オルタナティブなものを聴く若者も増えているので

坂本 龍一(さかもと りゅういち、 Ryichi Sakamoto、1952年1月17日 - )は、日本のミュージシャン、作曲家、編曲家、作詞家、音楽プロデューサー、音楽評論家、指揮者、タレント、俳優、政治活動家。東京都出身。