名言大学

他はこれ我にあらず

無益の事を行じて徒に時を失うなかれ

眼横鼻直なることを認得して人に瞞せられず

身 初心なるを顧みることなかれ

人と諍談するは 自他ともに無益なり

自己を忘れることは、
万法に証せられることである

水鳥の遊くもかえるも跡たえて されども道はわすれざりけり

自己をならうとは、
自己を忘れることである

古人いわく「霧の中を行けば覚えざるに衣しめる」 よき人に近けば覚えざるによき人となるなり

薪灰となりぬるのち さらに薪とならざるがごとく 人の死ぬるのちさらに生とならず

春は花夏ほととぎす秋は月 冬雪さえて冷しかりけり

花開けば必ず真実を結ぶ 青葉秋に逢うて即ち紅なり

華は愛憎に散り 草は棄嫌に生うるのみなり

憐れむべし 汝が深愛する名利は 祖師これを糞穢よりもいとうなり

かならず非器なりと思うことなかれ 依行せば必ず証をうべきなり

坐禅(座禅)は則ち 大安楽の法門なり

仏道をならうというは自己をならうなり

峯の色 渓の響もみなながら 我 釈迦牟尼仏の声と姿と

口声ひまなくせる 春の田の蛙の 昼夜に鳴くがごとし ついにまた益なし

誤りを悔い 実得をかくして 外相をかざらず 好事をば 他人にゆずり 悪事をば 己にむかうる志気あるべきなり

先人くるしみ無きに非ず

女人なにのとがかある 男子なにの徳かある 悪人は男子も悪人なるあり 善人は女人も善人なるあり

持戒梵行は すなわち 禅門の規矩なり 仏祖の家風なり

学人第一の用心は 先ず我見を離るべし

ただまさに法を重くし 身を軽くするなり

人みな般若の正種ゆたかなり ただ承当することまれに 受用すること未だしきならし

この法は 人人の分上にゆたかにそなわれりといえども 未だ修せざるにはあらわれず 証せざるにはうることなし

志の浅からぬをさきとすれば かたえにこゆる 志気あらわれけり

まことに一事をこととせざれば 一智に達することなし

たとい7歳の女流なりとも すなわち四衆の導師なり 衆生の慈父なり

かならず従来の幣衣を脱落して 仏祖正伝の袈裟を受持するなり

よねあらい まいらするをば 浄米しまいらせよと もうすべし よねかせと もうすべからず

得道のことは心をもって得るか 身をもって得るか

行雲流水【こううんりゅうすい】行く雲のように、
流れる水のように自由に場所を変え、
とらわれることなく生きてゆきましょう

万法に証せられるとは、
自己の心身をも他己の心身をも脱ぎ捨てることである

生を明らめ死をあき明らむるは仏家一大事の因縁なり

只管打坐(しかんたざ)

諸仏如来、
ともに妙法を単伝して、
阿耨菩提を証するに、
最上無為の妙術あり。
これただほとけ仏にさづけてよこしまなることなきは、
すなわち自受用三昧、......

其の知には及ぶ可くも、
其の愚には及ぶ可からず

放てば手にみてり

徳あるは讃むべし、
徳なきは憐むべし。
怨敵を降伏し、
君子を和睦ならしむること愛語を根本とするなり。
知るべし、
愛語は愛心より起こり、......

他は是れ吾にあらず 更にいずれの時をか待たん

文字を学ぶ者は、
文字の故を知らんとなす

身心一如にして性相不二なり

愛語は愛心よりおこる 愛心は慈(悲)心を種子とせり 愛語はよく廻天のちからあることを学すべきなり

志のある人は、
人間は必ず死ぬということを知っている。
志のない人は、
人間が必ず死ぬということを本当の意味で知らない。
その差だ

冷暖自知【れいだんじち】水が冷たいか暖かいかは、
自分でさわってみればすぐわかる

努力する人には志がある。
しない人間には志がない。
その差だ

身心脱落【しんじんだつらく】身心にへばりついた妄執をきれいさっぱり落とせたらどんなにいいか!坐禅はその第一歩だ

成功する人は努力する。
成功しない人は努力しない。
その差だ

道元(どうげん、正治2年1月2日(1200年1月19日) - 建長5年8月28日(1253年9月22日))は、鎌倉時代初期の禅僧。道元禅師とも呼ばれる。