名言大学

「非情」と世間がみなす采配をした後は、
必ずフォローが必要なのだというのも、
私が野球という仕事から学んだこと

自分の取り柄を信じる。
どんな人間にも取り柄はあることを忘れるな

単なるイエスマンであってはならない

力量というと語弊があるが、
それぞれの選手には得意とする能力に差がある。
それぞれが最高の能力を発揮し、
勝利という目標に向かって一つになるように組み合わせていくのが、
公平な選手の使い方だと思う

男の気概がどこで培われるかと言えば、
仕事をおいてない。
仕事をいい加減にしておいて、
趣味や遊びで気概が作られたなどという人間はいるはずがない。
仕事のプロを育てるのが職場だとすれば、
プロを育てる環境はもっと真剣に考えられていいはずだ

采配とは本来非情なものだ。
これは当たり前過ぎるほど当たり前で、
チームに勝利をもたらす為には、
時として個人に犠牲を強いる事だってある。
問題はリーダーが腹を括ってそれを押し通せるかだ

心を鬼にしても、
いつもチーム全体の利益を考えられるかどうか。
或いは常にチーム全体の利益をベースにして決断ができるかどうか、
それが采配を任された者の義務だと思っている。
口で言うのは容易だが、
現実の場面でそれを命じるのは覚悟がいる

参謀役は自分自身の分というものを知るべきである。
そして、
その分の中で精一杯の仕事をする。
トップと参謀役の理想的な関係というのは、
そういうものだという気がする

「善く兵をもちうる者は、
たとえば卒然の如し」(孫子)。
巧妙な用兵というものは常山に住んでいる卒然という蛇をコントロールするようなものだ

プライドなどというものは、
所詮自分で作り上げていくしかない

リーダーは勝機を読めなければならないだろう。
そしていったん勝機だと思ったら決断力が要求される

いつも「今」が闘いの潮時と覚悟を決めていたい

自分自身が変わろうと思わなければ、
人は変わりようがない

この練習がいつか自分の為になると思う。
その思いが強いものほど、
練習に汗を流す

新しい世代の選手との交流法ですか?
理解すれども容認せずです

頭で分かっていても体が動かなくなる。
分かってはいるけど、
やることがおざなりに、
いい加減になってくる

地に足をつけて、
じっくりと機を待つ­。
大切なのは自分に与えられた仕事に全力を尽くすということ

人にどう思われるとか、
後ろ髪ひかれる気持ち、
辞めてどうなるか、
マイナスになるのでは等という不安、
こんなことを少しでも持ったら決断できない

勝つことは孤独になるということでもある。
そして成功するということは、
ときに人の嫉みや僻みを買うことでもある。
それを引き受ける覚悟がなければ、
周りに埋もれて仲良くやる道を選ぶしかないだろう

出来るかどうかの不安を考えたらキリがない

重要なのは腹をくくるということである。
たとえ決断が悪いほうに転んだとしても、
自分が全ての責任を持つ心構えがあれば、
割り切りも早い

辛抱するということは大切なことだ

辛いことだが男は悔しい思いをしなければ鍛えられない。
叩かれて強くなる。
チヤホヤされて強くなった男を私は知らない

少ない給料で会社にこき使われていると思えば腹も立つ。
しかし必要とされて世の中に使われていると思えば、
多少なりとも世の中に役立っているのだと思える

勝負は時の運という。
だが、
リーダーとは運を呼び込むための手立てを練る者をいうのだと思う

重要なのは、
直面している問題から逃げてしまうか、
立ち向かっていくかという気持ちの問題だ

仕事とプライベートなことを分けるのが今風というが、
若い頃こんなことをやっている人は一流になれない

仕事とは、
どこかで楽をしたいという自分との意地の張り合いのようなところがある。
他人と比べて、
たとえ自分が間抜けのように見えても、
意地をはれるかどうか、
骨惜しみをしないと言いきれるかどうか、......

仕事ができない人間は脱落していく。
だが、
這い上がるチャンスは誰にも平等にある。
落ちたのは自分の責任だと思えば、
やり直そうという気概も生まれる

勝ち続けるというのは、
先の先を読むこと

歳をとるほど、
努力をしなくてはならない。
それも幅広い分野から、
吸収できるものは何でも学ぶ必要がある

勝つに法あり、
負けるに理あり

最大の敵は、
内なる慢心である

リーダーの闘いとは常に先を読むことだ

最後の最後に、
「これは俺の仕事の成果だ」と、
胸を張って誇れる瞬間を得るために日々を耐え忍んで頑張っているのではないか

先が読める男は、
現実から目をそらさない

初めて清原を見たときの衝撃は今も忘れない。
清原には独特の雰囲気があった

「和して同ぜず」私が監督になったときの心境は、
まさにこれである

光り輝くのは選手なんだ。
監督であってはいけない

コーチ業は先ず自分を殺すことから出発しなければならない

祇晶という名前も、
今ではすっかり慣れ親しみ、
自分でも気に入っている

勝ち、
負けの日々を何十年も続けていると、
目に見えぬ力が働いていることを感じる時間が何度もある。
神のご加護とか勝利の女神を意識するのはそういうときである

94年の日本シリーズに敗れたときも、
純粋に長島監督を祝福したいという気持ちだった。
「おめでとう、
よかったね」そういって私は長島監督と握手をした。
掌のぬくもりだけで、
長島監督は分かってくれたと思う。......

選手に目を注ぐ一方、
同時に勝つためのチーム作りの視点も持つ。
四方八方に目配せするのが監督の仕事といっていいのである

岐阜高校からすぐにジャイアンツへ入ったからこそ、
今日の私がある。
それが人生の巡り合わせというものだ

監督というのは選手に対して常に平等でなければならない。
いわゆる公平無私の精神である

人間にはそれぞれ、
生まれ持った星というものがある。
あとは人生という歩みの中で、
巡り合わせの不思議さがあるだけである

何事も新しいことをやるときは勇気がいるものである。
当然批判も生まれる

男の引き際。
男というのは幕を開けるより、
幕を引くことの方が何倍も難しい

コンバートという配置転換は選手が納得してくれるかどうかでプレーに大きな差となって現れる