名言大学

人生の目的は、
「自分の人生の目的」を探すことである

世の中に、
自分で試してみないでわかることなんか、
ひとつも無い

私たちは、
よろこびをもって生きたい。
それを待っているだけではなく、
自分からさがし出すことに慣れなければならない。
どんなにつまらないことであってもいい、
それをきょう一日の収穫として大事にしたい。......

味わう、
ということは、
どんなささやかなことでも、
宝石に変えてしまう不思議な体験です

私たちは、
まず、
自己を肯定するところから出発したほうがいいようです。
自己を肯定し、
自己を認めてやり、
自己をはげまし、......

一日に一回、
どんなことがあってもよろこぶ。
そう決心しました

私たちは死ぬときは、
ただひとりで逝く。
恋人や、
家族や、
親友がいたとしても、
一緒に死ぬわけではない。......

スターは存在感がすべてですね

出る杭は打たれるけれど、
出ない杭は腐る

二十一世紀は情報社会だけど、
情報の情は「情(こころ)」なんです。
そう考えれば、
現代は“こころの時代ということになりますね

人間の値打ちというものは、
生きている-この世に生れて、
とにかく生きつづけ、
今日まで生きている。
そのことにまずあるのであって、
生きている人間が何事を成し遂げてきたか、......

楽しいことは長続きする。
好きなことは長続きする。
気持ちのいいことは長続きする。
そうでないことは、
どんなに強制されても結局は続かない

人間これという一つに打ちこんだら、
驚くほどのことができる

人間は誰でも自分がいちばん大切なのです。
そして、
そのことをほんとうに自覚した人間だけが、
自然なかたちで他人を大切に思うことができる

大事なことは何か。
なにごとによらず、
一つずつの行為を十分にあじわいながら、
その一瞬を大切に過ごすこと。
それがいま、
特に大切に思われてならないことなのです

自分だけの独自のスタイルを持つということは、
どんな商売にせよ、
大事なことさ

才の背後には魂が必要だ

自分を愛せる人間が他人をも愛せる

ずっとひとつの夢を抱きつづけて努力することは、
たしかに奇跡みたいなことをよびおこすんだよなあ

人生において、
三分の一を占める眠る時間を尊敬しなくちゃいけない

私たちは、
人間にとって自由になることとならないことがある、
ということを受け入れなければなりません

いつまでも若い気になって、
世界に覇を唱える必要はない。
これからの日本は少子化と豊かな精神の大国への道を歩いていけばいい

もしプロという言葉があるとしたら、
それは技術ではなく、
自己犠牲を伴う努力なり研鑽を己の生き甲斐にできるかという、
その一点にかかっているんじゃないですか

背伸びすることで成長するという面も人間はあるんだよ

人生の目的の第一歩は生きること、
である

思想、
アイデア、
学問、
文化。
これからの日本はそうしたもので世界をリードしていけばいい。
人口は少なくてもいい。......

人間はまだ立ち上がれると余力と気力があるときに励まされると、
再び強く立ち上げることができます。
ところが、
もう立ち上がれない、
自分はもうだめだと覚悟してしまった人間には、
励ましの言葉など上滑りしてゆくだけです

私自身は、
さんざん苦労していろんな目に遭って生きてきたのだから、
「疲れたけれど、
これで休めるか」というようなホッとする気持ちで死に臨めればいいな、
と考えています

みじめな思い出が、
人生で貴重な財産となるときもある

どれほど努力しても失敗ばかりする時期もある

「食べていけるだけ」「生きているだけ」というのは、
そんなに価値のないことでしょうか

仏教には「中道」という考え方があります。
これは相対立する二つのどちらか一方だけに偏らない、
しかしいつも真ん中にいればいいというわけではない。
両方を大事にせよということです

なにもやらなくてもよい、
失敗した人生であってもよい、
それはそれで、
人間として生まれてきて、
そして人間として死んでいく、
そのことにおいて、......

やる気のない奴が偶然に仕事の手を抜いたため、
思わぬミスが起きたが、
それが結果的にすごくよいものに変化したり、
思いもかけない成功につながることだってあるのです

科学は常に諸刃の剣である。
医学や技術によって救われた命と、
それによって失われた命と、
はたしてどちらが多いか。
私は五分五分だと感じている

「人間には無限の可能性がある」というような言い方には、
どこか嘘があると思う。
人間にはできることと、
そして、
できないことがある

人生は思うにまかせねものである。
好きであっても素質がない場合もあり、
素質はあっても環境や運に恵まれず、
好きではない世界で一生をおくらなければならないこともある

人生に目的はあるのか。
私は、
ないと思う。
あらかじめ決められる法律のような人生の目的というものを、
私は想像することができない

日本という国もこれからは富まずともアジアのため、
世界のために役立つような生き方をするべきではないかと思うのです

日本には世界に誇るべき思想がふたつあります。
ひとつはSyncretism(シンクレティズム)、
神仏混淆という考え方です。
仏壇と神棚が同居していても争いにならない。
一神教同士の原理主義的な宗教対立が先鋭化して世界の発展を阻害している時代だからこそ、
共存思想が輝きを放つのです。......

憂えるのは大事なことで、
心の中に何とも言えない憂いが湧きあがる。
これがなければ社会は進みません。
いまの若い人たちは自分探しなどと言っていますが、
他に向けて憂えたり、
自分について憂える熱い気持ちが欠けていると思います

本居宣長は人は生きている限り悲しい目にあうと言っています。
悲しいときにどうするか。
悲しみから目をそらさずに悲しめと宣長は言います。
悲しいと思え。
そして悲しいと呟け。
人にそれを語れ。......

「憂」「愁」「悲」を大事にすることが鬱の時代の人間的な生き方だと思います。
大変な勢いで成長して山を駆け上がっているときはそんなことを考える暇はない。
これからはその時間があります。
民族としての成熟とはそういうことであり、
いま、
我々は成熟するチャンスにさしかかっているのです

しっかりと悲しみを確認しない限り人は悲しみを引きずって生きなければならない。
悲しみを声に出さないで無理をして明るい笑顔をつくろうとするから本当の鬱になるのです。
見も世もあらぬと身をよじって泣きじゃくるということを大事にしなければいけない

仏教で「慈悲」といいますが、
「慈」とはプラス思考の励ましの言葉です

天才的な素質をもちながら、
世の出ず無名のままに埋もれた人は、
いくらでもいる

登山というのは、
登るだけではない。
無事に下山するまでが登山なのです

証明することができない事柄を信用しない人がいる。
科学的でない、
という理由からだ。
しかし、
私たちは科学だけで生きているわけではないし、
市場原理だけで暮らしているわけでもない

寂しさを誤魔化そうとかしてはならない。
自分を欺いたりしないで、
そのさびしさをまっすぐに見つめ、
その自分の心に忠実にしたがえばよい

肉体的な弱点でも、
内面的なものでも、
それを他人に気づかれまいと苦心するところから人間は醜くなるのです

五木 寛之(いつき ひろゆき、1932年9月30日 - )は、日本の小説家・随筆家。福岡県出身。旧姓は松延(まつのぶ)。早稲田大学露文科中退。