名言大学

本当は総理をやってですよ、
しばらく野に下って、
今度は権力者としてではなく国民の側に立ってものを観察し、
いろいろ思いを巡らしてこれを前の経験と結び合わせてもう一度総理をやった政治家は、
前より大いに偉くなるんですよ。
それを利用しないのは、......

日米安保は集団的自衛権とは違う。
憲法があるから海外派兵はできない

総理、
政治家というものは、
あんまりあっさりしてはいけないね。
地位に恋々としてかじりつく必要があるんだ。
その点、
僕なんかはあっさりしすぎていた

吉田さんがつくった安保条約では、
日本がアメリカに占領されているようなものなんです。
形式的には占領軍が撤退して、
その後あらためて米軍がやってきて日本を占領している状況が、
旧安保条約なんです

悪運が強くないと政治家は駄目。
運が七割

大東亜共栄圏は随分と批判があったけど、
根本の考え方は間違っていません。
日本が非常に野心を持ってナニしたように思われるけど、
そうではなく・・

安保改定がきちんと評価されるには50年はかかる

ゴットルは私も読みましたよ。
理論的にはある程度研究しました。
われわれは統制経済論によって何か社会革命を行おうというのではなくて、
現実の政治的な必要からこれを用いたように思うんです

ならばもう一度政治家となって再建の礎を築こう。
大木になるまでは無理としても、
苗木になるまでの日本をみたい

マルクスとエンゲルスの往復書簡などはとにかく読みましたよ。
でもね、
(これらの著作は)どうも根本的に初めから(自分と)相容れないものでしたね。
ある意味からいえば、
理解できない点が随分多かったと思うんですよ

私の政治方針は、
汚職、
暴力、
貧乏の三悪を追放し、
外交ではとくにアメリカとの恒久的な協力関係を深めたい。
内政では経済の安定と均衡を保つ長期展望にたつ計画のもとで、......

誰もが若いときに傾倒するのだが、
『資本論』は難しかったよ。
一応は読みました

満州の産業開発は、
私の描いた作品である。
この作品にたいして私はかぎりない愛着を覚える

私有財産の問題と国体維持の問題を分けて考えるというのは、
その当時のわれわれの問題の基礎をなしていたんです。
したがって、
私有財産制の維持というものに対しては非常に強い疑問をもっていました

私には、
私有財産制というものを維持しようという考えはなかった

北一輝の『国家改造案(原理大綱)』が一つの大きな魅力でもあった

(憲法改正に関して)護憲の連中は憲法を改正するとまた戦争になり、
徴兵制が敷かれ、
子供や夫をまた戦場に送ることになるんだというような、
訳の分からぬ宣伝をしている

(国会での安保条約論議について)くだらない問題でしたが、
『極東』の範囲なんていうのは、
(議会対策で)苦労した格好になっているけれども、
あれは愚にもつかなかったね

(昭和35年の日米安全保障条約改定時について)日本がアメリカの核戦争に巻き込まれて、
戦争になるというようなわけのわからん議論が盛んだった

第一はね、
いうまでもなく安全保障ですよ。
それがなけりゃあ、
経済の発展も、
あるいは文教の振興もない

転ぶな、
風邪を引くな、
義理を欠け

(安倍晋太郎について)もう少し悪口をいう敵がいなければ駄目だっていうんだ

岸 信介(きし のぶすけ、1896年〈明治29年〉11月13日 - 1987年〈昭和62年〉8月7日)は、日本の政治家、官僚。旧姓佐藤(さとう)。満州国総務庁次長、商工大臣(第24代)、衆議院議員(9期)、自由民主党幹事長(初代)、自由民主党総裁 (第3代) 、外務大臣(第86・87代)、内閣総理大臣臨時代理、内閣総理大臣(第56・57代)、皇學館大学総長 (第2代) などを歴任し、「昭和の妖怪」と呼ばれた。