名言大学

恩師の坂田昌一先生は自分のことを「先生」ではなく「さん」で呼ぶように言っていました。
理論物理学の世界は、
堂々と議論をするためには対等でなければいけないからです。
「先生」と呼んでいたのでは学生は反論がしにくい。
「先生」も生徒を意識し、
正しい議論ができなくなります

近年ノーベル賞受賞者が多数出ているからといって、
現在の日本の科学の現状が万万歳ということにはならない

すぐに役立つという目先で利益追求したのでは見つからないのが科学なのです

我々は科学をやっているのであってノーベル賞を目標にやってきたのではない

目標は、
苦しくても決して下ろしてはいけない

出来の悪い子でしたよ、
私は。
授業は聞かない、
宿題はしない、
怒られても反省しない

楽しくなければ情熱を持ってできるわけがない

学者になるのも一つの道だが、
人生にはいろんなことがある。
努力を惜しみなく傾注できる道を発見してください

勉強でも運動でも趣味でもなんでもいいので、
他の人に負けない誇りに思える何かを見つける手助けをしてあげて欲しいと思います

研究者が「面白い」と思うことをベースに研究するころが非常に重要です

今の世は勉強した知識を楽しむ余裕がないでしょう。
『考える』のではなく『暗記する』ことに重点が置かれている

学習とは「何がおもしろいかに気づくこと」であり「楽しいと思えることが才能」

(日本の親は)教育熱心ではなくて、
結果熱心である

小学生は理科が好きですよね。
それ以降嫌いになっていくということは、
面白くなくなるように教育しているということでしょう。
僕は『教育汚染』と言っているんですよ

試験のシステムは複雑化しすぎです。
もっとシンプルでいいはず

アメリカの自然科学の分野でも、
『研究者』は少なくなり、
お金が儲かる仕事へ流れている。
日本も同様です

賞というのは与える方や受ける方が同等ではなければならないはずなのに、
ノーベル賞の場合には『あなたに決まりました。
10分後に記者会見します』と、
こちらからは何も言えないような一方的な通報だった

21世紀のいま、
戦争を回避しようという人間の理性はどんどん希薄になっているように感じます

論文を書くときには世界で1番じゃないと論文じゃないんです。
1位を取るぞという目標があるから研究者も寝ずに頑張るんですね。
2位でもいいぞといった時点で科学は成り立たなくなる

私は科学者の端くれとして、
戦争に利用されたくはないし、
加担したくもありません。
戦争で殺されるのも嫌だけど、
もっと嫌なのは自分が殺す側に回ることです

勉強という言葉には苦しみを強いる意味があって私は大嫌い

科学者というのは放っておいたら自分の研究をしているのが一番楽しい

私は科学者の社会的責任という言葉はあまり好きじゃないんです。
科学者であるがゆえに自動的に社会的責任が発生する、
というようなニュアンスに受け取れるからです

いつの時代でもそうですが、
民衆はそれほどバカじゃない。
とことん追い詰められたら十分立ち上がってくれる

本業をやっているときに、
本業ばかり突き詰めてやっても効率が上がるかといったら、
そうでもないんです。
だから、
もう少し肩の力を抜いて、
まともに考えたほうがいいと思います

ノーベル賞を授与された研究は、
人類の発展のためにも殺人兵器にも使用可能という両刃(もろは)の技術といっていいのです

戦争のことを話すことが私に課せられた責任だと思っていました。
おそらく自分が戦争の記憶がある最後の年代でしょう。
それが何度も戦争のことを話す理由の一つになっています

本をたくさん読むこと。
世の中の多くの考えと解釈が分かれば思考の幅が広がる

価値観というのは経験の総体として作られるものだが、
経験が違えば価値観も違うほかない

問題を認識すれば人間は必ず困難を乗り越えるものと決まっている。
そんな点で若者たちは同僚、
友達と徹底的に討論して論争をしなければならない

10年、
20年の枠で見れば“逆流があるかもしれないが、
30年単位で見れば世界は進歩している

前を眺める力が何より必要だ。
“時間という概念に振り回されない価値観を持ち、
それに合わせて判断する必要がある

私たちには資源がないから科学で立ち上がるしかない。
“科学立国を叫んだ時だった

ノーベル賞は20〜30年前の業績が認められることだ。
検証するのにそれだけ時間がかかり、
今になって評価を受けるものだ

益川 敏英(ますかわ としひで、1940年〈昭和15年〉2月7日 - 2021年〈令和3年〉7月23日。