名言大学

(学生時代)「なぜ人間は生きてるのか」「なぜ自分は生まれてきたのか」という問いが、
ずうっと頭から離れなかった

自分の思い込みはすべてのことにある

才能とは不可視の光である。
しかしその光は見出される必要がある

理屈で考えれば、
道理が見えてくる

無意識の世界って、
端と真ん中が同等

孤独って頭の中が他人の声でいっぱいの状態のこと

自分が世界を愛せるようになっておくっていうことが「世界から祝福されている」という感覚を育む、
第一歩

いわゆる常識という名のどうでもいい「平均値」というのは、
捨ててしまってもいい

周りの評価を一つ一つ気にしていたら全力は出しきれません

人間を利用する人って、
人間に対する興味がない

心は相手の反応や周囲の環境などの外的要因の影響を受けながら一瞬でころころ変わっている。
そこに一貫性や連続性はありません

たった一回の出会いで、
その人の人生が変わるということは世の中にはいっぱいある

世間的な常識なんか吹っ飛ばして、
あなたらしい生き方の中で、
親友や友人、
あるいは恋人を見つけたらどうかな

小まめに自分自身を労わってやる習慣を続けていくうちに、
あれほど堅固だった怒りの結晶が少しずつ溶けて、
小さく、
軽くなっていく

40代で、
人生に対しての不安と焦りがすさまじく出てきます

(他者の)要求に応えられないことをなんでも自分が悪いと感じ取るようになると、
これはまさに過剰適応

「寂しさ」を癒すには、
やっぱり自分の信頼している人、
尊敬している人、
愛している人と会うことがいちばん効果的

本当に自分のやりたいことだという確信がその人の中にあれば、
何度怒られて否定されても諦めないはず

全面的に肯定することと甘やかすことは根本的に大きく違う

本当に自分のやりたいこと、
新しいことをやっていたら、
既存の価値観に囚われた上司から怒られるのは当然のこと

絶対的な対象と自分が呼応していく中で、
相対的な世界が気にならなくなる

一人の人間の、
一見くだらない話をだらだら聞いているほうが、
かえって自分の世界を広げていくのに近道

心の根っ子に溜まった強大な怒りの8割以上は寂しさから来ている

日本人には、
無意識レベルでつい周囲に合わせてしまう過剰適応な人が多い

僕もしんどい時期って結構定期的にあるんですけど、
そういう時は、
迷わず人に頼ります

意識というのは、
必ず何かに焦点を当てようとする

何かを好きになることさえできれば、
人は行動を始めます

人間の感情って、
かなりの部分が場の空気に支配されています

やる気や根性で解決しようとする人は長続きしません

心の隙間を他人に埋めてもらおうとする試みは必ずと言っていいほど失敗します

自分の人生の主人になるという意識を持ち、
毎日を大切に

孤独な人は必ず駆け引きをしてしまう

怯えて毎日を過ごすのはもう嫌だという気持ちを自身で見つけさえすれば、
動き出さないでは済みません

継続するという行動そのものが、
本気になるということ

自分の軸で判断できているか、
それとも他人の軸によって流されてしまっているか

親切で一番手っ取り早いのは、
誰かが失敗した時に、
その失敗を許すってこと

行動を始めることさえできれば、
何かが必ず変わり始める

逆境はそのまま、
人が成長し、
変わっていくチャンスでもある

当たり前というのは、
人によって全然違う。
それをいつも念頭に置いておけば、
人間関係も不要な衝突が少なくなる

自分が恐怖に依存していることに気づかなければ、
そこから抜け出すこともできない

確たる目的意識や指標を設定したとしても、
それが満たされたとき、
再び人は、
ある種の空虚さに襲われることになる

「ひとりぼっち」になって充足できる時間があれば、
私たちはもっと人に親切になれる

日本人は所属欲求が強い気がします

他人を見返してやりたいという思いがあると、
心の修行や自己研鑽にはけっこう本気で取り組むことができます

誰かを見下すことって、
典型的な群れの思考

人間の尺度を超えたものを信頼することで本当の意味での自信を得られることがある

運の流れを逃さない生き方の手本は、
「耳をそば立てるように生きる」ことかもしれません

人生が停滞している時や停滞するのではないかと不安に思っている時というのは同じような感情の動きをトレースして、
繰り返している

自分自身が感動しているときに、
「伝える力」は最大化する

名越 康文(なこし やすふみ、1960年6月21日 - )は、日本の精神科医、評論家。専門は思春期精神医学、精神療法。高野山大学客員教授、相愛大学客員教授。妻は金子奈緒。