名言大学

マイナスだと思うことを自分の成長だと思い感謝する。
それが自然にできるようになってから私の人生は180度好転しました

どんなに過酷な状況であろうと、
使命感という情熱があれば、
私は夢は具現化すると思っております

人はそれぞれに与えられた役目がある

夢というものは、
なるべく若い内に小さい内に、
その夢と出会うことが大切です

辛い時や調子が悪い時ほど、
攻めの姿勢で向かったほうがいい

困難を抱えている時こそ明るく軽やかに

100点中30点で不幸と思っている人も十分だと思っている人もいます。
自分が不幸だと思っている人は、
残りの70点を埋めなければ幸せになれないと「上を、
上を」と目指すことが不幸の始まりなのです

人は活かされている

世の中すべてのことは第一歩から始まる

どんな存在にも敬意を払い、
謙虚に素直に生きて人生を楽しむ

現実を受け入れ、
愚痴らず、
精一杯生きているとそこに道が開けてくる

上手でも下手でも精一杯生きてみることです

夜、
何事もなく、
一日を過ごせたなら、
心の中で「ありがとうございました。
」と感謝をする

どう生きるかっていうのは自分の心次第

何事も足るを知る

私がとても大切にしている三つの生き方があります。
ひとつは今日より明日、
明日より明後日と日々向上する心です。
二つめはどんな人に対しても敬意をもつこと。
三つめは怒らない努力です。
とても当たり前のことですがちゃんと実践していると周囲の人が驚くほど、......

小さな事をコツコツコツコツと積み重ねていると、
いつの間にか大きな人になります

どんなに辛いこと苦しい事があっても、
それは天から与えられた自分の成長の為のプレゼント

自分一人だけが苦しいと悲観的にならず、
世の中にはもっと苦しい思いや悲しい思いをしながらも頑張っている人達がいるんだと自分に言い聞かせ、
みんな共に生きているんだという思いやりの心を持ち、
笑顔を心がけること

今日なすべきことを熱心に為せ

本当に自分は幸せだなと実感できるのは向かい合った人、
目の前にいる人と心と心がつながっている状態、
通い合っている状態がとても幸せ

人生において自分の気まま、
わがままばかりが通り自分の思いが次から次へと叶っていったなら、
どんな人間になってしまうでしょうか。
恐らく人の痛みや悲しみが分からずに多くの人を傷つけてしまったり、
決してみんなから慕われ、
心から尊敬されるような存在にはなれないと思います

地道に根気よく諦めない道を楽しんでこそ、
やがて達人になる

(千日回峰行の際)クマに追いかけられたこともありました。
崖が崩れ行く手を阻まれたこともありました。
血尿も出ますし、
心臓を悪くして、
意識が遠のいた時もありました

人は生まれてから死ぬまでが修行

(幼少の頃)自分を極限まで追い込み、
何かを得ないといけないと思っていた

昨日より今日、
今日より明日、
より大きな器になっていたい

縁を大切にし、
与えられた仕事を心をこめて精一杯させていただく。
そうすると必ず道が開けていきます

心を成長させる為に、
この世に自分以外の人がいる

悩んでる時とか、
苦しんでいる時は思いっきり格好悪く苦しんだ方がいい

辛抱する心を養う

お坊さんも一般の人も一緒の人間

自分だけが自分だけがと言う気持ちが強いと、
どんどんと人のモノが欲しくなったり、
自分のモノにしてみようという気持ちが強くなる

私たちはオギャーと生まれて、
その瞬間から「快」と「不快」、
この二つの現実を受けなければなりません

私は千日回峰行をやり切ったことで、
揺るぎない自信を得た

(千日回峰行を振り返り)若いですから色んなことに悩み、
人はなぜ生きるのかとか?
どうして人生ってこんなに不自由なんだ・・。
そんなものをたくさん心の中で自問自答しながら、
毎日涙を流し、
ドロドロになって歩いていたことが非常に懐かしく思います

半端なことでは人を救うことなんて出来ない

すべての宗教の原点は愛であり祈り

善い行いを一日一日繰り返す

与えられた環境に感謝をし、
生かされているということに感謝をする

人脈とは自然に授かるものだと思う。
あの手この手をつかい広げていく人もおられますが、
無理をして繋がった縁は長続きしてません

何かコンプレックスがある人って、
我慢してきたことが強さになる

何不自由のない生活をしている中では、
なかなか深く反省をしません

仕事を通して、
内面を成長させることこそが人生修行

持っているものが少なければ少ないほど、
より良いものが心の中からどんどん湧いてまいります

行を通して学んだことは、
「よく反省すること」「よく感謝をすること」「思いやりを持つこと」の3つ

生まれてきた時には「無邪気」というように、
邪な心がありません

私は精神的にも肉体的にも、
追い込まれれば追い込まれるほど集中力が増していきました

自分の気持ちとか思考を恨み、
憎しみとかマイナス方向に持って行かない

情熱を持っている人は放っておいても成長します

塩沼 亮潤(しおぬま りょうじゅん、1968年3月15日 - )は、宮城県仙台市出身の日本の金峯山修験本宗の僧侶(仙台市太白区秋保、福聚山慈眼寺住職)。大峯千日回峰行者(大行満大阿闍梨)。