名言大学

自分にとってはどの曲も差がつけられないほど大事な曲ばかり

何歳になっても、
どんな状況でも、
真正面から向き合う姿勢とか、
音楽に対する愛情みたいなものさえ持ってれば、
ちゃんと届く人には届くと思う。
それが いい音楽で、......

たまに、
何が本当で何が嘘なのか分からなくなる時がある。
本当のものまで嘘に見えたりとか

『melody』には、
ついつい音楽に頼ってしまってる自分の弱さみたいな部分も出てます

(『Peace loving people』は、
)たぶん16歳だったから書けたんだと思います。
むしろ今だと、
いろいろ考えすぎて書けない詞かなって

今はもう戻ってはこない これを大事に、
明日でいいやと流さないようにしています。
毎日がいとおしい

歌って、
生きてるって感じがする

(2年間の活動休止中)曲を書くことがこんなにも楽しい作業だったんだってことに初めて気付いたっていうくらい楽しかった

(病気が分かった時は)休むなんて気持ちはさらさらなかった

自分の歩んできた道って、
一生懸命やってきたのなら、
やはり宝石以上に大切な日々じゃないですか。
それがたとえ辛くて嫌な日々であったとしても、
私自身は「Jewelry day」だって思いたいんです

誰かに届けたい、
聴いてほしいと強く願っている。
なぜなら、
歌が大好きだから

(ライブは)何よりも楽しくて何よりも幸せな時間

売れることが全てじゃないっていうか、
音楽に順序つけなくていいと思うんですよね。
ランキングはただの枚数の基準であって、
だからいい順なのかは果たして分からない。
今回枚数は微妙やった、
でも、......

バトルって日々の生活の中に何かしら絶対あるものだと思う。
時間との戦いとか仕事場での関係、
自分自身の葛藤とか。
だけど悩んだ末に辿り着く答えって、
結局すごくシンプルなことだったりすると思うんです

人って年齢を重ねれば重ねるほど、
新たな一歩を踏み出すにしても慎重になるじゃないですか?
でもその時、
自分が大事に想っている人からの一言があれば、
そのことで前に進めることがある

「beautiful」は、
そろそろ寝ようと思った時、
“でも、
なんか生まれそう・・・・って、
それでピアノに向ってできた曲なんです。
“作らなきゃ!って、......

子どもって1番の犠牲者で、
でも、
1番の希望で。
大人が守っていかなきゃいけないものだと思ってます

(社会に出ると、
)言わないほうがいいってことが増えたり。
その半面、
誰かのひと言で殴られたくらいに傷つくこともあったり。
だけど、
どんなときでも本当の自分の声っていうのは 胸の中にちゃんとある。......

多分、
これから先、
27歳から37歳の10年というのも、
それなりに濃いんでしょうけど、
デビューからのこの10年は今後ないぐらいの濃さだろうなと。
人生の中での重要なポイントがいくつもありましたからね

命がお腹に宿っている貴重な時間も後わずかなので、
奇跡が重なることでしか経験できない特別な時間なんだと感謝しながら、
日々穏やかに過ごしています

普段の服が着られなくなる程お腹が膨らみを増していくので、
新しい命の存在をより強く感じるようになりました。
それに伴って、
母になるという実感がどんどん沸いてきているので、
とにかく新しい家族を迎えるための準備を毎日しています

「ちいさな足跡」は小さな頃、
「夢は叶うんだ」って素直に信じていた自分を振り返りながら書きました

曲を「書きたい」というより「書かなきゃいけない」という状況での制作が続くと、
心の中で「これでいいんだろうか?
音楽ってそういうものなんだろうか?
」と、
葛藤するようになりました

デビュー曲の「I believe」は、
デビュー前の時期に作った曲なので、
歌手になりたいという自分の強い想いを自分のペースで想いを込めながら自然に書けた

デビューした頃、
私はまだ18歳で、
周りは大人ばかり。
そんな状況に早く慣れなきゃいけないという焦りや、
結果を出さなきゃというプレッシャーもあり、
常にいっぱいいっぱいでした

(1年目で一気にスターダムへと駆け上がったことについて)もちろんすごく嬉しかったけど、
その反面、
その状況についていくのに必死でした。
あまりにもめまぐるしく日々が過ぎていくので、
置いてかれないようにするだけで精一杯だったんですよ

自分の(病気の)状況を見ないフリして頑張っていたけど、
ステージに立つことが大好きだからこそ、
自分の納得のいくパフォーマンスができていないことが何より悔しくて。
でも、
あの時期があったからこそ今がある。
自分が本当に大切にしたいことが明確にわかったのも、......

弱い部分を人に見せずに、
自分を強く見せることに必死だったけど、
彼(主人)と出会えたことで、
鎧を外せたというか、
弱い部分があってもいいんだって思えるようになって、
彼の言葉に甘えました

(結婚は)“もうひとりじゃない、
もうこれからはひとりで悩まなくてもいいんだって、
人生観が変わりました。
活動休止のきっかけになったのも彼のひと言で、
自分にとって本当に大きな決断へと導いてくれました

活動休止中は、
音楽との向き合い方を改めて確認できたかけがえのない時間でした

歌大好き!というところから私の音楽人生がスタートしているので、
その想いはずっと大切にしたい

料理を作って掃除をして、
曲も書きたいときに書く。
締め切りがないなかで降ってきたものをそのまま形にする作業は本当に新鮮で楽しくて

体を万全にして今よりさらにいい歌を永く届けたいなって強く思った。
それに気付かせてくれたこと、
そしてその決断を信じて背中を押してくれたこと、
一緒になって闘ってくれたことは、
とても大きかったです。
今の私があるのは彼(主人)のおかげなんです

自分の原点は「歌」だと思っていて、
全ては歌うことが大好きだというところから始まっているんです

ツアーも3回まわり、
たくさんのライブもやってきたなかで、
感覚として、
音楽をやる時の気持ちがどんどん自由になっていきました。
「自分」という軸があればどんな曲を表現してもいいんじゃないか、
もっともっと自分も楽しんじゃおう!

自分の満足のいくところに達してないものを世に出すことほど、
辛いことはない

仕事のペースとしては休止前と比べて少ない活動量なので、
それでも変わらないくらいの印象を与えられてるならとても嬉しい

私の母がしてくれたように、
私も自分の子どもを信頼して、
一番のサポーターでいたいと思います

辛いことや大変なことがあっても、
それを音楽にパワーとして出せるのはすごく幸せなことだなと

10代の頃なんて今より経験がないから、
歌詞を書くにしても、
どうやって書いたらいいんだろうって。
今聴くと、
無理している自分が曲に出ていたりもするんですよね

身内以外誰にも妊娠していることを言ってなかったんですが、
ライブを終えた直後に「なんかさ、
すごく今日の歌はすごくやさしくていいね」ってメンバーから言われて。
変えたつもりはないし、
まだ全然(妊娠の)実感も湧かないタイミングだったのに不思議です

出産を経て自分の歌がどう変化して響くのか──気持ちの部分も絶対にリンクしてくるはずだから、
私自身もそこ(ツアー)で表現する“歌が本当に楽しみです