名言大学

人生に夢があるのではなく、
夢が人生をつくるのです

「何となく」は、
世界を目指すチームには許されない

自分との戦い。
これを頑張れなければ、
そして自分に負けてしまえば、
チームが試合に負けてしまう

自分を信じて自分のためにやんな。
それがチームのためになるんだよ

練習は裏切らなかった

必ずできると信じる心、
絶対にやりとげるという強い意志、
それがなければそもそも戦いの場に立つことは許されないと私は考えている

よかったねえ。
おとうさんやおかあさんがなぜ、
叱っているかわかるか。
みんなのことを思っているから叱るんだ。
みんなに伸びてもらいたいから叱るんだよ

ちゃんと叱ってもらっているか〜?

純粋な『心』を持たないものは先へは進めない

選手はほとんど、
自分(私)の性格を知っていた。
だから、
絶対服従。
なぜなら、
私の言うことを聞いたら勝てるから。......

他人の子もしっかり叱ってあげなくちゃいけない。
おとなは子どもを導かないといけないんだ

親にだって言うよ。
子どもを叱ってあげてよって。
子どもがダメな時は、
見て見ぬふりじゃなく、
ちゃんと向き合ってしからなくちゃ

なぜ、
厳しい監督と言われたかというと、
選手のことがかわいくてしょうがなかったんだ。
なんとか成長させてあげたかった。
でも、
むやみには叱らないよ。......

もし、
おとなが叱ってくれなかったら、
みんなどう思う?

花は咲き方を迷わない

人と人は真っ正面から向き合うことが何より大切だが、
物事は真っ正面から見るだけでは見ることのできないところがある。
斜めにしてみたり、
ひっくり返してみたり・・・・そうして答えが見つかることもある

正しいあいさつは、
いい仕事への第一歩

花は生き方に悩まない

当時の日立高崎は3部リーグ所属の弱小チーム

日立高崎の監督には1986年に就任しました。
引退して実家の埼玉県に帰り、
母校や全日本ジュニアのコーチをしていた時、
遠征先で、
当時の工場長さんから「チームを見てくれないか」と声をかけられたんです

弱い自分でなく強い自分を取る

自分を信じる

試合が終わってから円陣を組んだけれど、
言葉がなくて何も言えなかった

父は驚き「苦労しているのは知っていたけどまさかそこまで」と涙を流しました。
父が泣く姿を見た時、
父はなんて弱いんだろうと思い、
絶対に迷惑や心配をかけてはいけないと思ったものです。
父のその涙が、
指導者になってから役に立ちました。......

でも、
私はどうしても監督をやってみたかった。
そこで、
「実は・・・・」と、
高校時代にいじめられて色々な苦労をしたこと、
社会人になってからもトイレ掃除や郵便配達をやらされて大変だったことを初めて伝えたのです。......

父の言葉が指導者としての原点です。
監督就任を父に相談した時、
最初はとても強く反対されました。
「選手は自分のことだけを考えていればいいが、
監督は、
選手の親や学校、......

まずトレーニングコーチとして1か月ほどの指導期間を経て、
正式に就任要請をいただきました

ユニチカでも多くの経験をして、
つらいこともたくさん味わいました。
でも、
働くこと、
給料をいただくことはこういうことだと身をもって学ばせてもらった。
だからこそ、......

ほかの従業員が工場で働いている間に、
私たちはソフトボールをさせてもらっている。
それを快く思っていない従業員もいるかもしれません。
勝っているときは無条件にチヤホヤしてくれる人たちも、
何かあればあっという間にそばから去っていくものです

父の言葉で強く心に響いたのは「企業スポーツは勝たなければいけないが、
愛されないと成り立たない」という言葉です

確かにそれまでは、
四六時中、
食事からお風呂までずっと選手と一緒に過ごしていたのですが、
結婚後は、
練習が終わるとすぐに帰宅するようになりました。
「(夫に私を)取られたような気がした」とも言われました

(指導者として転機はありましたか?
)結婚です。
自覚はありませんでしたが、
選手たちから「優しくなった」と言われたり、
逆に「自分たちのことはもう思ってくれないのではないか」と心配されたりしました

会社側には「選手がソフトボールを辞めてからも従業員として働けるように指導してほしい。
そのかわり練習と寮生活は責任持ちますから」とはっきり伝え、
「決断、
覚悟、
責任」、
この3つの言葉を頭に入れて監督生活をスタートさせました

私は「挨拶、
時間厳守、
整理整頓、
相手に対する気配りは当然のこととして、
チーム理念と細かいルールを作り、
裏方のことは何でもする、......

とはいえ、
選手との関係性が大きく変わったわけではありません。
今も昔も、
選手たちは私に本音で言いたいことをぶつけてきます

シドニー五輪の時でしたから、
夫とそんなに一緒にいたわけではないのですが、
冷静に物事を考える機会が多くなり、
選手の考えや行動の理由が今まで以上に分かるようになってきました

選手とのやりとりは「はい、
はい」と一方通行になりがちですから、
夫に「そうじゃないよ」と言われてハッとさせられることも多かったです

私自身の考え方も大きく変わりました。
夫という第三者がそばにいると、
相手がどう考えるだろうかと思いを巡らせるようになり、
今までと違うものの見方ができるようになります

やはり責任ですね。
選手一人一人に責任を持たなければいけないと思っています

相手チームの子にもアドバイスしますよ。
次の日、
いいピッチングすると嬉しいですね。
「敵なのに」というような意識は全くありません。
人に興味がある、
人が好きなのでしょうね

選手はみなかわいいです。
中には「優秀な子は好きだが、
ちょっと変わっている子は苦手」という指導者もいますが、
私にそういうことはありません。
自分自身がちょっと変わっている方でしたから

選手に交換日記のようなノートを書かせていたのですが、
先輩の悪口も含めて、
本当にさまざまなことを率直に、
正直に書いてきてくれましたよ

世間では強烈な「鬼監督」のようにも言われていますが、
実際はそうでもないのです。
選手からは「緊張するけれど話しやすい」とよく言われますよ

自分を頼りにする選手たちに何かあった時、
すべての責任を自分が取るのだという覚悟はできています

大学、
企業チームで総監督やシニアアドバイザーを務める責任もあります。
人からどう見られているかというよりも、
選手個々の個性をどう活かすか、
選手たちの頑張りに見合った指導をきちんとできているかどうかが大切です

特に、
中国から連れてきた麗華(宇津木麗華さん ビックカメラ女子ソフトボール高崎監督)については、
彼女の心境、
国籍の違いからくる苦労などがありますから大きな責任を感じています。
自分にできることは何か、
常に考えています

とはいえ、
現場には監督がいるわけですから、
チーム全体を見渡し、
一歩引いた立場からサポートするように心がけています。
「大丈夫だよ」と。
前面に出るようなことはしませんよ。......

叱る時はしっかりと叱ります

私が認めれば、
彼女たちは私を信頼し、
何でも私に言ってくれるようになります。
私自身が認められない子だったので、
その気持ちがよく分かります

控え選手は腐ってしまいがちですが、
そういう子だって活かし方次第です。
「ベンチで試合を盛り上げろ」と、
彼女たちの役割を認めれば、
一生懸命に声を枯らしてくれます