名言大学

哲学は思考可能なものを境界づけ、
それによって思考不可能なものを境界づけねばならない

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

思考しえぬことを我々は思考することはできない。
それゆえ、
思考しえぬことを我々は語ることもできない

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

私たちはいつも直線的に物事を考える癖がある。
世界がこれからどうなるかということを考えてみるときですら、
いまの世界の動きがさらに進展していくという前提で未来の予想を立ててしまうのだ。
いまの世界の動きから突如にして変貌していくとか、
その都度世界が変化を続けていくといったふうに考えたりしないものだ。
しかし、......

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

哲学の仕事の本質は解明することにある。
哲学の成果は「哲学的命題」ではない諸命題の明確化である

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

およそ語られうることは明晰に語られうる。
そして論じえないことについては人は沈黙せねばならない

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

お前の哲学の目的は何か?
それはハエにハエ取り器から脱出する出口を示してやることだ

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

世界がどうあるか、
が不思議なのではない。
世界がある、
ということが不思議なのだ

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

思考はそのままではいわば不透明でぼやけている。
哲学はそれを明晰にし限界をはっきりさせねばならない

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

私の言語の限界が私の世界の限界を意味する

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

哲学の目的は思考の論理的明晰化である。
哲学は理論ではなく活動である。
哲学の仕事の本質は解明することにある。
哲学の成果は「哲学的命題」ではない。
諸命題の明確化である

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

およそ言いうることは言い得語りえないことについては沈黙しなければならない

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

われわれが「意味」という語を用いる(全てではないにしろ)ほとんどの場合では、
次のような定義が可能である。
すなわち、
語の意味とは言語におけるその使用のことである

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

哲学的混乱に陥っている人は、
或る部屋の中に居てそこから脱出しようとしているが、
しかしどうしていいか解らないでいる人、
に似ている。
彼は窓から脱出しようとするが、
窓は高すぎる。......

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

本書の核心はほぼ次のような言葉で捉えることができるであろう。
およそ言いうるものは明瞭に言いえ、
語りえざるものについては沈黙せねばならぬ。
かくして、
本書は思考にある限界を定めようとする。
というより、......

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

哲学を勉強することは何の役に立つのか。
もし論理学の深遠な問題などについてもっともらしい理屈がこねられるようになるだけしか哲学が君の役に立たないなら、
また、
もし哲学が日常生活の重要問題について君の考える力を進歩させないのなら、
哲学なんて無意味じゃないか

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

歴史が私にどんな関係があろう

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

世界と生は1つである

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

世界の中には、
いかなる価値もない。
仮にあるにしても、
その価値にはいかなる価値もない

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

世界の価値は、
世界の外側になければならない

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

考えるということは、
要するに自分で何か映像をつむぎだしていくということだ。
何かが、
あたかも自分の眼にはっきりと映るかのようにしていくのが「考える」ことだ。
どんな人でも、
結局はそういうふうにして考えている

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

全ての科学上の問いに、
答えが得られようとも、
自らの人生上の問いには、
答えは出せないだろう。
もちろん、
そのときは、......

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

語り得るものについては明瞭に語られなければならない。
語り得ぬものについては沈黙せねばならない

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

太陽は明日も昇るだろうというのは一つの仮説である。
すなわち、
われわれは太陽が昇るかどうか、
知っているわけではない

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

命題の本質は、
新しい意味を伝えることである

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

幸福な人の世界は不幸な人の世界とは別の世界である

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

「明日の朝がやって来る」というのは、
単なる予想にすぎない

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

答えが言い表し得ないなら、
問いを言い表し得ない。
問いが言い表し得るのならば、
答えも言い表し得よう

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

人びとが馬鹿なことをときどきしでかさなければ、
賢明なこともまったくなされないことになる

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

私の心の限界が私の世界の限界である

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

哲学は自然科学の一つではない。
「哲学」という語は自然科学と同レベルのものを意味するのではなく、
自然科学の上にある、
または下にあるものを意味するのでなければならない

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

わたしたちの最大の愚かさは、
きわめて賢明なものである場合がある

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

私があたえることのできそうな影響はといえば、
なによりもまず、
私に刺激されて、
じつにたくさんのガラクタが書かれ、
もしかしたらそのガラクタが刺激となって、
いいものが生まれることかもしれない。......

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

語るのではなく示せ

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

語りえぬものについては、
沈黙しなければならない

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

良心とは認識の生が保証する幸福のことだ。
認識の生とは、
世の中の苦しみにもかかわらず幸福であるような生のことだ。
世の中の楽しみを断念しうる生のみが幸福なのだ。
世の中の楽しみは、
この生にとって、......

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

少なからぬ人々は、
他人からほめられようと思っている。
人から感心されたいと思っている。
さらに卑しいことには、
偉大な人物だとか、
尊敬すべき人間だと見られたがっている。......

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

梯子を登り終えたら、
その梯子を投げ捨ててもらわねばならない

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

人は欲しがっているものを本当に欲しいのではなく、
別のものを手に入れたいと渇望している。
たとえば、
大型犬を欲しがっている人が本当に望んでいるものは自分が支配する力だというふうに

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

言えることははっきり言えるものだ。
はっきり言えないことは、
沈黙していればいい

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

愛されると嬉しい。
愛されないと淋しい。
愛されなくても、
愛することができれば満たされる。
愛が欲しくて見つめる。
少しでも愛が感じられれば、......

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

善悪は、
主体によってはじめて成立する。
そして、
主体は世界に属さない。
それは世界の限界なのである

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

風が吹いてきて、
木を揺さぶる。
風は大木をも揺さぶる。
わたしたちもそんな木々のようなものだ。
つまらない考えに、
くだらない考えに、......

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

太陽が明日も昇るであろうとは一つの仮定である。
すなわち、
太陽が将来も昇るかどうか、
われわれは知らない

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

人として弱いということは、
生きていくうえで受けるべき苦しみを自分で受けとろうとしないことだ

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

「言語ゲーム」という語は、
ここでは、
言語を話すことが人間の活動の一部である、
あるいは、
生活形式の一部であるということを強調するべきものである

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

信仰が人を幸せにすると言われれてきたことの意味がわかった。
神にかしずいて謙虚に生きることによって、
もはや人への恐怖感がなくなるからだ。
ふだんのわたしたちはそれほど他人を恐れて生きている

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

私たちが見ているのは、
多くの類似性 ー 大きなものから小さなものまで ー が互いに重なり合い、
交差してできあがった複雑な網状組織なのである

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

どうしても苦しまなければならないというのならば、
自分の中に住む善と悪の闘いにおいて善のほうに加担し、
そこから生まれてくる苦しみに甘んじたい。
自分の中に住む悪とまた別の悪の醜い戦いで苦しむよりずっとましだと思うから

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

正しかったり誤っていたりするのは、
人間が言うことである。
そして人間は言語において一致する。
それは意見の一致ではなく、
生活形式の一致である

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

地面にちょろちょろとしか生えていない雑草を引き抜こうとしても全く手に負えないときがある。
大きくて複雑な根が土の中に深くはびこっているからだ。
難問とはえてしてそういう厄介なものだ。
今までのやり方で解決できるものではない。
目に見えるところだけ対処していてもどうにもならない。
根こそぎ引き抜く必要がある

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン