「それは私の責任ではない」と言いたくなる場面は、誰の人生にも何度も訪れる。上司の指示だった、環境が悪かった、時間がなかった。理由はいくらでも見つかるし、実際にそれが事実である場合も少なくない。けれども、責任を手放した瞬間に、人は同時に「自分で状況を変える力」も手放してしまう。
責任とは、重荷であると同時に、人生のハンドルを握り続けるための権利でもある。覚悟とは、その手を離さないと決めることだ。本記事では、哲学者、経営者、アスリート、漫画家、そして名もなき民の知恵まで、責任と覚悟を語った32の言葉を集めた。
引き受けることを恐れている人にも、すでに重い責任を背負っている人にも、肩の力を少し抜きながら、背筋を伸ばせる言葉が見つかるはずだ。
自分の人生を引き受ける
最初に向き合うのは、いちばん身近な責任、すなわち「自分の人生に対する責任」である。誰かのせいにできるうちは楽だが、その楽さは自由と引き換えになっている。
「自分が決めたことについては、自分でリスクを背負って、責任持って生きなさい」
── 蜷川実花(写真家・映画監督)
決断とリスクは常にセットである。決める自由を求めるなら、その結果を引き受ける覚悟もまた持たねばならない。リスクを背負った選択だけが、後から振り返ったときに「自分の人生だった」と言える。
「自分を大切にしつつ、人には迷惑をかけず、自分の行動の責任は自分でとる」
── 天海祐希(俳優)
責任を取ることは、自分を犠牲にすることではない。自分を大切にすることと並べて語られている点が重要で、責任は自己否定ではなく、自己尊重の延長線上にある。
「人生において何が正しいかなんて、誰にも分からないのだから自分の思う通りに進んで、その結果を他人の責任にしないことが大切ではないか」
── 曽野綾子(作家)
正解が分からない以上、迷いは避けられない。それでも進むなら、せめて結果を他人に押し付けないこと。それだけで、失敗は後悔ではなく経験に変わる。
「周りがどう思うかではない。長い人生を考えると、人の意見で生きても誰も責任とってくれない」
── 有働由美子(アナウンサー・キャスター)
他人の意見は参考にはなっても、人生の保証にはならない。助言に従って失敗しても、その後の日々を生きるのは自分だけだ。だからこそ、最後の判断は自分の手で下したい。
「人格――自分の人生に責任を引き受ける意志――こそが、自尊心の湧き出る源泉である。」
── ジョーン・ディディオン(アメリカの作家・ジャーナリスト)
自信は、成功体験だけから生まれるわけではない。自分の選択を引き受け続けた事実が、静かに自尊心を育てていく。責任を負う意志そのものが、人格の核なのだ。
「自分の運命を実現することは、人間の唯一の責任なのだ」
── パウロ・コエーリョ(ブラジルの作家)
世間への義務や役割の前に、まず自分自身に与えられた可能性を生き切ること。これを唯一の責任とまで言い切る視点は、責任という言葉の見方をがらりと変えてくれる。
「自分の人生の責任を転嫁する相手を探すのはやめなさい。あなたの中の真実を直視し、自分の誤りを正しなさい。」
── アイリーン・キャディ(フィンドホーン共同体の共同創設者)
犯人探しをしている間は、時間も気力も他人に向いている。矛先を自分の内側に戻したとき、初めて変えられるものが見えてくる。厳しいが、同時に希望のある言葉である。
「主体性を持つということは率先力を発揮するだけでなく、人間として自分の人生に対する責任を取るということ」
── スティーブン・R・コヴィー(『7つの習慣』著者)
主体性とは、積極的に動くことだけを指すのではない。起きた出来事への反応を、自分で選ぶこと。その選択の責任を引き受ける姿勢こそが、主体性の根っこにある。
言い訳を手放す
責任の反対側にあるのが言い訳だ。言い訳は一時的に心を守ってくれるが、成長の芽を静かに摘んでいく。
「プロの仕事とは、何があっても言い訳をしないこと」
── 秋元康(作詞家・プロデューサー)
結果が出なかった理由は、説明しようと思えばいくらでも説明できる。しかしプロの世界では、説明は成果を変えない。言い訳を封じたところから、次の工夫が始まる。
「準備というのは、言い訳の材料となり得るものを排除していく、そのために考え得るすべてのことをこなしていく。」
── イチロー(元プロ野球選手)
準備を「言い訳の材料を消す作業」と捉える発想が鋭い。やれることをやり尽くしたあとの結果は、たとえ悪くても、自分の責任として正面から受け止められる。
「劣等感を言い訳にして人生から逃げ出す弱虫は多い。しかし、劣等感をバネに偉業を成し遂げた者も数知れない」
── アルフレッド・アドラー(オーストリアの心理学者)
劣等感そのものは敵ではない。それを逃げる口実にするか、前進の燃料にするかを決めるのは本人であり、その選択が責任の所在を分ける。
「言い訳は自分に対する嘘だ。「言い訳ではなく努力をしろ」という言葉を紙に書いて、毎日、目につくところに貼っておこう」
── ロバート・キヨサキ(『金持ち父さん貧乏父さん』著者)
他人をだます言い訳より、自分をだます言い訳のほうがたちが悪い。目に見える場所に言葉を貼るという具体策が、意志の弱さを前提にした現実的な知恵として効く。
「「右へならえ」をすれば、自分の責任はなくなるからね」
── 中田英寿(元サッカー日本代表)
皆と同じに動いていれば、うまくいかなかったとき「みんなそうだった」と言える。その安全地帯を捨てて自分で判断することが、責任を負うことの出発点だと教えてくれる。
「最後は自分に原因がある、自分に責任があると受け止めることは、魂が強くないとできないこと」
── 田坂広志(思想家・多摩大学名誉教授)
「自分にも原因がある」と認めるのは、実は強さの証である。責任を受け止められる人は、他人を責めて消耗するかわりに、状況を動かす側へ回れる。
「自分で蒔いた種は、自分で刈り取らねばならない」
── 作者不明
古くから語り継がれてきた、因果と責任の知恵である。良い種も悪い種も、蒔いたのは自分。だからこそ、今日これから蒔く種を選ぶ自由もまた自分にある。
自由と責任は表裏一体
自由を望む人は多いが、自由には必ず責任がついてくる。この二つを切り離そうとすると、どちらも空洞になってしまう。
「自由は、責任をもって生きることがなければ、単なる気ままさへと堕落する危険がある」
── ヴィクトール・フランクル(オーストリアの精神科医)
強制収容所を生き延びたフランクルは、自由を誰よりも切実に知る人物だった。その彼が、自由の女神像と対になる「責任の像」を西海岸に建てるべきだと提案したことは有名である。自由の価値は、使い方への責任によって支えられている。
「ヒーローとは、自分の自由に伴う責任を理解している人のことだ」
── ボブ・ディラン(シンガーソングライター)
英雄の条件を、強さや派手な功績ではなく「責任の理解」に置いている点が印象的だ。自由を謳歌しながら、その代償も静かに引き受ける人こそが、周囲を安心させる。
「人は「発言する」ことにのみならず、「発言しない」ということにも責任を持たなければならない」
── キング牧師(公民権運動指導者)
沈黙は中立ではない。見て見ぬふりをすることもまた、一つの選択であり、その結果に対する責任が生じる。傍観者でいられる時代はないと、静かに突きつけてくる。
「主張する者に、証拠を示す責任がある」
── カール・セーガン(天文学者)
自分の考えを世に出す自由には、それを裏づける責任が伴う。情報があふれる現代、発信する側が果たすべき最低限の誠実さを示した言葉である。
「大いなる力には、大いなる責任が伴う。」
── ベン・パーカー(『スパイダーマン』の登場人物)
力を持つことは、できることが増えることであり、同時に無関係ではいられなくなることでもある。フィクションの台詞ながら、現実の組織や社会にもそのまま当てはまる普遍の原則だ。
「多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」
── 新約聖書(ルカによる福音書12章48節)
才能、立場、財産。恵まれているほど、その使い道を問われる。古代から続くこの教えは、特権を自慢するためではなく、責任を自覚するための警句として読める。
立場が人に課す責任
役割を与えられたとき、責任は選べなくなる。リーダー、経営者、監督。重い立場にある人々が、その重さとどう向き合ったのかを見ていこう。
「業績を上げる最大のカギは責任感である。権威や権限ではない」
── ピーター・ドラッカー(経営学者)
組織を動かすのは肩書きの力ではなく、一人ひとりが自分の仕事に責任を持つ意識である。権限を振りかざすより、まず責任を引き受ける人が、結果として成果を生む。
「社長は自分がやると決めた事、ひとにやらせようと思うことを明確にし全責任を負わなければならない」
── 盛田昭夫(ソニー共同創業者)
決めること、任せること、そして負うこと。この三つはセットでなければならない。責任の所在が曖昧な組織では、誰も本気で動けないのだ。
「リーダーとしての責任を果たすためには、多少の遠回りは覚悟の上で、自分の頭で考えられる部下を育てなければいけない」
── 小倉昌男(ヤマト運輸元社長)
目先の効率だけを考えれば、指示を出して従わせるほうが早い。それでも人を育てることを選ぶ姿勢に、リーダーの責任を未来にまで広げて考える視点がうかがえる。
「重要なのは腹をくくるということである。たとえ決断が悪いほうに転んだとしても、自分が全ての責任を持つ心構えがあれば、割り切りも早い」
── 森祇晶(元プロ野球監督)
迷いを長引かせるのは、失敗したときの責任から逃れたい気持ちだ。全責任を負うと決めてしまえば、決断は軽くなる。覚悟が、かえって心を自由にする。
「これほど恵まれた役割には、責任が伴います。自分がいつ率いるべき人間であり、そしていつそうではないのかを知る責任です」
── ジャシンダ・アーダーン(元ニュージーランド首相)
リーダーの責任には、前に立つことだけでなく、身を引く判断も含まれる。自分の役割を客観視し続ける姿勢は、権力を預かる者の最も誠実な責任の形だろう。
「私はこの責任から尻込みしない。むしろ歓迎する」
── ジョン・F・ケネディ(第35代アメリカ大統領)
1961年の就任演説の一節である。自由を守る重責を「歓迎する」と言い切る態度には、責任を重荷ではなく使命として受け取る前向きさがある。
「船頭多くして船山に上る」
── 作者不明
指図する人ばかり多いと、物事はかえって誤った方向へ進んでしまう。誰もが口を出し、誰も責任を取らない状況への戒めである。責任の所在を一つに定める大切さを、昔の人も知っていた。
覚悟を決める
最後は、責任の先にある「覚悟」である。傷つくこと、負けること、背負うこと。それらを引き受けると決めた人の言葉には、独特の静かな力がある。
「本気で人を幸せにしようと思ったら、自分が傷つくことくらい覚悟しなくちゃいかんのだ」
── 水木しげる(漫画家)
誰かを本気で支えようとすれば、時間も労力も、ときには心の痛みも差し出すことになる。優しさを口先で終わらせないための条件が、ここに示されている。
「正義の味方は、カッコよくない。傷つくことを、覚悟する」
── やなせたかし(漫画家・『アンパンマン』作者)
顔を差し出して空腹の人に食べさせるアンパンマンは、傷つくことを前提としたヒーローだ。正義とは華やかな勝利ではなく、痛みを引き受ける覚悟のことなのだと教えてくれる。
「負ける覚悟も含めて、すべてにおいて、完全な準備をしなければならない。準備に「やり過ぎ」などという言葉はないのだ」
── イビチャ・オシム(元サッカー日本代表監督)
負ける覚悟は、あきらめとは違う。最悪の結果を受け入れる準備があるからこそ、恐れずに最善を尽くせる。覚悟と準備は、同じコインの裏表である。
「武士に二言はない」
── 作者不明
一度口にしたことは、後から翻さない。言葉に責任を持つという、日本人の美意識を凝縮した言葉である。約束が軽くなりがちな時代だからこそ、この潔さは新鮮に響く。
責任は、背負うほど重くなるものではない。引き受けると決めた瞬間、重さの正体が「恐れ」から「使命」へと変わるのだと、ここまでの言葉は教えてくれる。今日、先送りにしていることが一つあるなら、それを自分の手に取り戻すところから始めてみてはどうだろう。引き受けた人から、人は強くなっていく。